『問題は問題にしなければ問題ではない。逆も然り。』 ~魔言と真言の分かれ道




ワクチンは問題ない。

シェディングなど無い。

mRNAは安全である。 


 問題を問題にしなければ問題ではないというもの。 



 一方・・・

コロナウィルスは危険である。

インフルエンザは危険である。

様々な感染症が起こる。 


 問題では無いものでも問題にしてしまえば問題になる。 




 こうしてパンデミックというプランデミックは組み立てられ、ワクチンはいつまでも売られゆく。 


 ワクチンの副作用で人が死んでも

ワクチンでコロナが防げたほうが価値が大きい。 



 何を問題とするかの組み換え、すり替えで、詭弁科学は進みゆく。 




 政治も同じく問題でないものを問題とすることで問題になる「錯覚」によって運営される。 


 経済は

必要性のないものを必要性があるとすることで必要であるという「錯覚」を起こさせ商品は売られゆく。 



「問題」とされたものが本当に「問題」か?

「必要」とされたものが本当に「必要」か? 


 逆に

「問題ない」とされたものが本当に「問題ない」か?

「不要」とされたものが本当に「不要」か? 



誰かにとっては問題でも、誰かにとっては問題ではない。

誰かにとっては必要でも、誰かにとっては不要である。




誰が偽りで誰が誠か・・・・

今という時ほどそれがわかりやすい時はない。



魔言と真言がわかるとき。

そして、自分がどちらを選択しているかもわかるとき。

それが今。 




人を貶め辱め、その人が奪われた何かを「糧」にしている吸血的な蔦草たち。

人が不幸になることで、自らの「糧」とする吸血鬼のような人々。 


正義の仮面で吸血行為を行う蔦草たち。

それに追随して石を投げ喜びとする者たち。 


魔と魔の喰い合い、鬼と鬼の喰い合い。 



邪鬼を浴びて邪気が伝播し、自らも邪鬼となりゆく。 


正義は益々軽くなり、人の命も尊厳も益々軽くなりゆく世界。 




魔言だらけの世界で、魔言の邪鬼に染められて、自ら魔へと堕ちてゆく。 


穢れた正義を語り、穢れた自由を語り、穢れた平和を語りゆく。 




問題は問題にしなければ問題にならない。 


誠の問題は何処にある?

誠の問題は何であるか? 



魔言の問題に振り回されて、反射で魔言に応えようとする。

魔言に引きずられ振り回されて、自らも魔に染まりゆく。

そうして誠の問題を見失う。

そうして真言を見失う。 




世界に湧き立つこの穢れ・・・・ 


早く気付ければ小難

極まれば大難 




穢れたものと清いもの

これほどわかりやすい時はない

されど穢れに呑まれゆく人々 




屁理屈詭弁で穢れを清めたつもりになるなかれ

自分の中に「問題を問題にしなければ問題ではない」という『魔』が潜む。 



問題は何処にある?

問題は何であるか? 


自分の中の奥深くにまで問うて問うた極みまで

行けた者からさようなら

天神様の細道へ向かう・・・・・  




言葉は息吹き 神は息吹き

汚き言葉は魔の息吹き

言葉の穢れ祓い浄め

思いの穢れ祓い浄め

言葉の息吹きに神宿る



息吹きの🌀(渦)は素叉鳴神

息吹き戸立てる息吹戸主

🌀火(ウカ)の御魂に神威は宿る

穢れを祓う言の波



心の中の言葉は火

外に出る言葉は水


火水揃わねば神ならず

火水歪みて魔言なり





癒奏術・響庵

心と身体と魂を癒す・・・それが「癒奏術」 肉体から霊体へ、霊体から神体へと手が届く唯一の施術です

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