「不登校」という若いトランスフォーム(次元上昇)予備軍
年々増える「不登校」
子供の数が減っているのに不登校者は増えている。
学校という場所がどんどん息苦しい場所になっていることだろう。
管理監視が強化され、大人の狭い料簡が浸透し、時代の変化についていけない大人たちの「常識」が、彼らの未来を閉ざしてゆく。
「正解」とされるものに対して「疑問」を差しはさむと「離脱」を余儀なくされる。
おりこうさん、優秀、エリートという賛美の裏にあるのは、「コントロールしやすい人間育成」というものであり、けっして「優秀」な人間を育成するのではない。
ただ「扱いやすい」を「優秀」と「定義」されているだけであり、だからこそ純粋な子供たちは『気付く』のである。
『おかしい』と・・・
だが疑問を差しはさめば「排除」され、だから疑問を「なかったコト」にしてしまう。
そうして出来上がるエリートは、「扱いやすい」人間の代表となる。
そして、「疑問」を「なかったコト」にできない者たち・・・・
彼らは「排除」される運命に出くわしてしまう。
そうして「不登校」という「自分から外れてゆく」道へと進む。
自分というものを生かすか殺すか・・・
「賛美」を得るために自らを殺すのか、「賛美」を捨てて自分を生かそうとするのか・・・・
その「選択」の中に「不登校」という道が生まれる。
自分が信じてきたものが崩れ去り、新たな道を探すしかない。
そのために自分はどうすればいいのか・・・
それは「自分」へ回帰し「自分」を再構築するための「蛹(さなぎ)」
「幼虫」という「芋虫」のまま進歩してゆくことを拒絶し、蛹から蝶へと進化する過程。
大人たちは「子供」が「子供」であることを望む故、「幼虫」であり続けることを望んでいることも知らずに、「大人(成虫)になれ」という矛盾を突き付ける。
なぜなら大人たちが「幼虫」のままだから・・・・
「幼虫」であることで「賛美」され、迎え入れられるという成功体験を手放せないままであるから。
自由に空を飛ばれたら扱い難く困るから幼虫であれと・・・
それが「賢い」選択なのだと・・・
そしてだから子供たちは「疑問」を持ち、このままいけば「空を飛べない」と気づき、「不登校」という「蛹」へと変化した。
空を飛ぶ「蝶」へと進化したいから・・・・
それは「本能」である。
その本能に従い「蛹」となっただけである。
「蛹」という「孤独」の中で「自分」と向き合い、そして世界と向き合う。
自分が蛹の殻を破った時、どんな成虫となるのか?
それを知る期間でもある。
それは人生において「何度も」訪れる。
そのたびに孤独の中で自分に向き合い、蛹の殻を破ってゆく。
それが多ければ多いほど・・・
自分の次元は上昇してゆく。
だから他者から与えられる「承認」への「欲求」を手放さなければならない。
手放せないうちは・・・・
芋虫のままである。
ほかの誰でもない、自分が認め納得できた時・・・
蛹の殻を破って
ようやく「羽」を広げられる。
それは「進化」の過程
その過程のために「引きこもれ」ばいい。
それは「蛹」である。
空を飛ぶ一歩手前の「進化」である。
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