エネルギーのパーソナルスペースとシェディング
人のエネルギー・パーソナルスペースには個人差があります。
それはエネルギーの質とも深くかかわっており、当然それは人の性質(性格)などとも直結しているものであります。
人の身体の周り数センチほどの厚みをもって覆っているエーテル体とは別のもので、その人の「在り方」そのものと言えるエネルギー場のことであります。
そのエネルギーは千差万別で、それこそ「人の数」だけ違いがある。
視覚で見分けようと思えば見分けられますが、ただそれは「視認できる」ものに限られる。
視認できるものだけがすべてではなく、視認できない部分にもエネルギーは存在している。
視認できるものを「オーラ」と呼んでいるようですが、それは「視認性」があるエネルギーの部分だけを指しているわけですが、それだけではエネルギーの本質を理解できません。
人は「エネルギー体」によって「情報」を収集し、発信もしている。
つまり「エネルギー体」の接触により「情報」がやり取りされているわけで、それらのエネルギー伝達による情報は「五感」によって収集され、無意識層で「エビデンス」に則って情報を理解している・・・
だがその能力は現代人に於いてはかなり劣化しているが、状況次第では鋭敏になることもある。
特に情報を収集する力の薄い人は、どちらかというと「発信」するエネルギーが強く、そのエネルギーの「在り方」を見るだけでその人のなりと在り方が「人の話を聞かない」人であると手に取るようにわかる。
逆に、繊細なエネルギーを幅広く広げている人は「主張」することが少なく、「知る」能力が高いことがわかる。
実は「主張」のエネルギーは強い分、影響力は狭い範囲に限られる。
『荒魂』のエネルギーであり、荒く、硬く、熱く、重いエネルギーである。
身体からせいぜい数十センチから1メートルくらいまでの広がりのエネルギーであるが、実はここに「ナノサイズ」の物質も乗っかってくる。
花粉や菌やウィルスなども当然乗っかり、エネルギー場の中で循環する。
これに気付いたのはmRNAワクチンの「シェディング」があってのことであった。
数十センチ内に近づくと、エネルギーの質量を当然感知する。
それと同時に皮膚に差すような痛みや痺れるような感覚が起こることがある。
そんな時は決まって数時間以内には「シェディング症状」が発症する。
だから気付いたわけであり、それを何度も繰り返すことで「エビデンス」となっている。
実はこの「荒い」エネルギー状態の人からの「シェディング」を受けやすいわけである。
それを数メートル先から察知できるようになってきた。
視覚、嗅覚、触覚が複合された感覚のなせる業である。
だが、察知は出来るが必ずしも回避できない。
それは、回避した先にも同じような人が居たりするからで、人が大勢いる場所では「囲まれて」いるわけであるから回避すれば別の人に接近する・・・ということになってしまう。
だから人混みはさけているのだが、完全に避けきることは難しい。
ここ数年のコロナ禍で、この能力が明敏になった人と、逆に鈍くなった人とに分かれていった。
言葉に出来ない、理屈に出来ない「感覚」であるから、有る無しの話になってくるわけである。
だが明確に違いが現れ分かれた。
その大きな違いは
自己感覚を信頼し自己判断をする左脳と
自己感覚を信頼できず他者に判断をゆだねる左脳
「掃除洗濯せよ」
と言ってきたものの差異が明確に現れた。
脳内にある情報を精査する能力と、それらを判断する「傾向」が二分したわけである。
「自己信頼」を勝ち得なかったものは、結局自分を信頼できず、「流される」という「他者依存」へと向かった。
「自己信頼」を勝ち得たものは、自己の「感覚」が受け取る情報をちゃんと聞いたわけである。
自己判断、自己信頼は今後益々重要になってくる。
情報と風評との区別がつかないようになるからである。
そんな溢れる情報の波から自分に必要な情報だけを抜き出す能力は、自己信頼がなければできず、その自己信頼は経験からしか得られない。
経験の積み重ねの中で自らのエビデンスが構築されていなければ、自己判断を信頼できるはずなどないのであるから。
魂に還る・・・・
覚醒する・・・・
それらのことでさえも「経験の積み重ね」の中でエビデンスを積み上げて「確か」なものとせねば「判断」の土台はグラグラ揺れ続ける。
本当に魂に還っているのか?
本当に覚醒しているのか?
それらを「疑いのない」状態にまで積み上げなければ土台は常に揺れ動く。
何度も何度も確かめ、何度も何度も「確信」する積み重ねが盤石の土台となる。
自分で「確かだ」と確かめていないものは簡単に揺らぐ。
一言二言の言葉で簡単に信頼が崩れる。
情報に右往左往し、未来に一喜一憂し続けるばかりとなるわけである。
その心がエネルギーに現れ、つねに陰陽調和せず「陰」が膨れ上がったり「陽」が膨れ上がったりと、エネルギーが常に不安定に揺れ動く。
芯の無いただ膨張するだけの刺々しい荒魂
人にねっとりと貼りつきエネルギーを奪う和魂
そんな不安定な陰陽のエネルギーが蔓延しているのである。
そして
他者と「調和」することを忘れたエネルギーは、人を害すばかりなのである。
それが「エネルギーのパーソナルスペース」や「シェディング」というものに顕著に現れている・・・ということである。
自己信頼という確固たる土台が無ければ信念という軸はできない。
それゆえ「型」に依存し、同じ「型」という「共通項」をもって『調和』などという。
型という「教義」に依存し、型をもって同族意識を凝り固まらせて、それを調和などという。
だが、型に依存し教義に依存するものの信頼の土台は共通して揺れ動くものであり、だからやがて派閥やグループに分かれゆき、尚且つそこでも「型」に依存し続ける。
調和のフリをしただけの同調とでも言おうか・・・
自己信頼無きものは自己を承認し得ず、他者の承認によって補おうとしても、けっして埋まらない「穴」が空き続けている。
スピリチュアルとはそんな「穴」を一時的に埋めたかのように錯覚させるもので、だがそれであっても人は求める。
けっして調和に辿り着かない螺旋を、昇ることなく回り続けている。
自己信頼、自己承認が盤石でなければ、荒御魂と和御魂は調和せず、それが調和しなければ幸御魂は現れず、幸御魂が現れなければ奇御魂へは届かない。
つまり経糸と横糸の「結び」は完成しないのである。
0コメント