『シェディングと内臓と経絡』 ~癒奏術の根本
常に身体に触れて状態を観察し施術しているからよくわかるし、ましてや自分にも起こっていることであるから猶更よくわかるのだが、シェディングによる頭痛が起こる「経路」というものがあり、その表れとして「経絡」の乱れが生じ、その乱れが筋に緊張状態を生み、そして「骨」を歪め、さらにそれぞれの「経絡」が連鎖して頭痛へ至る・・・という道筋があることがわかる。
だから「頭痛」という現出した症状の因果を辿ればおのずと「内臓」で何事かが起こっていることがわかる。
たとえば、頭痛が起こる際には頭部の「筋」による緊張状態があり、それが頭蓋骨を歪めている。
その「歪み」は土台となる頚椎(首の骨)の歪みが起こっているから「ズレ」によって引き起こされたものであることがわかる。
さらに、その頚椎の「ズレ」は胸部の「筋」の緊張が引き起こしているものであり、胸部の緊張を生み出しているのは「肋骨」の「歪み」であることがわかる。
そして、「肋骨」の歪みは内臓の不具合から生じる「筋」の「緊張」によるものであり、金の緊張は当然「神経」を通る情報によって起こるわけである。
つまり、「頭痛」と言う症状である「果」に対して「内臓の不具合」という「因」があり、その「道筋」が「筋」や「神経」の「道」を通って「因果」を結んでいることがわかり、それは「経絡」という「信号」に表出することで表面的な「経路」が見て取れる。
シェディングによって起こる頭痛に伴い、首の「胸鎖乳突筋」が張っていることが多々ある。
そして、「胸鎖乳突筋」の張りは「胸部」に原因があり、胸部の「筋」や「神経」は内臓・・・中でも「胃」「脾臓」「胆嚢」「腎臓」などの経絡の道の信号に現れる。
そしてそれらの臓器の不具合が「肋骨」に歪みを生み、臓器の陰陽相照らす形となって「腸」「三焦」「肝臓」「膀胱」の経絡へと「鏡」のように写し出される。
そして頭部の神経を緊張させることで「自律神経」の乱れを起こす。
スパイクタンパクは「内臓」に蓄積されることは言うまでもなくわかっている事象である。
それゆえに、内臓に蓄積されているスパイクタンパクを「排出」することが「治癒」となる。
だから、スパイクタンパクが残ったままいくら頭痛を治めようとしても治まらないわけで、ここが「頭痛薬」が効かない理由であり、「イベルメクチン」が結果的に頭痛を治める理由である。
内臓の不具合による頚椎のズレから来る頭痛の場合、頚椎の「何番目」がズレているかで不具合を起こしている内臓のおおよそは推測できる。
その推測に基づいて経絡を確認して、推測は確定へと近づく。
さらに「相照らす」陰陽の経絡を確認して「断定」させるわけである。
ただそれはけっして「一つ」ではなく、いくつもの要素が複合しているが、強く出ているものと弱く出ているものがあり、一番主体となるのは一番強く出ている部分である。
だからといってそこだけ治めればいいわけではなく、やはり弱く出ている部分も治めてやらなければ、巡りによって不具合は巡り、主体部分に再び不具合が戻ることになる。
だから全身隈なくバランスを取る必要がある。
身体の不調を照らす鏡の経絡「膀胱経」
シェディングに限らず体内の不調というものは体外に現れる。
それを「視認」するものが大小の「便」であり、特に「おしっこ」は如実に不調を映し出す。
そして経絡においても「膀胱経」の経絡は、各臓器の不調を知る信号機のようになっている。
「旁(あまねく)光(ひかる)」という文字に、「身体」を現わす「月」を入れて「膀胱」である。
体内の事象が膀胱に現れ「尿」に現れる・・・ということである。
だから一番最初に「膀胱経」が通る背中に触れて「違和感」を見つけ、違和感の根本へと辿る最初の「鏡」となる。
施術の最初の一手であり、一番重要な部分であり、それが施術全体の最初の「受想行識」の一手となり、そこから連鎖してすべての「受想行識」という施術へ転化する。
施術のアプローチは「行」であり、受けるための「行」と癒すための「行」という「陰陽」がある。
さらに「癒す」ための「行」は「受ける」ための「行」と表裏一体となって「施術」という連鎖になる。
すべての「受送行識」は「コンマ何秒」という単位で行われ、その連続が一か所に数秒行われ、一つの経絡、数十秒、周辺部位に数分と行われ、数十分という施術が完結する。
そうして知った身体の不調の状態から「原因」となるものを日常の生活や行動から見つけ出してゆくわけで、だから『人の意識に昇らない』不調というものを「経絡」や「筋」や「骨」の状態から推測できるようにする。
そして「こうしたときにこうなる」という体験の連続が「エビデンス」として蓄積される。
シェディングが始まってから3年の蓄積されたエビデンスが、様々な理解を与えてくれている。
だがまだわかっていないことも多い。
時間の経過とともに変化する因果は、「正解」というものの「確定」を許さない。
当然、人の数だけ因果も違うわけである。
ただ、道筋を辿るための「受送行識」だけは変わらない。
これが不動の軸であり、これが変わらないことで様々な変化に追いつくことが出来るわけである。
この「受送行識」が歪めばすべてが歪む。
だからここだけは「無心」で行わなければならないところであり、だから癒奏術の根本は「禅」のセラピーなわけである。
身体に症状が現れ、経絡上に違和感がいくら現れていようとも、それを写し取る自分の鏡が曇っていれば、歪んでいれば、正しく写し取ることは出来ず歪んで認識してしまう。
だから「シェディング」が原因であろうと感じても、それを安易に確定させず「他の要因」の可能性も常に受け入れる用意がなければならない。
一度で確定は出来ず、だから3年の間様々な要因の可能性も考え、試しながら自分を「被検体」としてきた。
シェディングによるスパイクタンパクの不具合にしても、スパイクタンパクに「反射」して起こる不具合と、スパイクタンパクによってダメージが蓄積された不具合では対処は変わる。
蓄積されたダメージは「定着」した不具合であり、それは「病」の範疇に該当する。
だから対処も違う。
「病院に行きましょう」
ということになる。
身体の隅々にまで行き渡る「スパイクタンパク」と、この3年の間戦ってきた。
本当に様々なところに行き、そして蓄積し、ダメージを与え続ける。
当然、体外へ表出もされる。
何も「スパイクタンパク」だけがシェディングしているわけではない。
様々な「情報」が伝達されているのである。
見た目の色彩、匂いの多彩さ、音の質感、重量感、姿の質感、温度、肌触り、質感、重量感、硬度、光度、そしてそれらすべてが「響き」である。
その「響き」の先に更なる「霊的響き」がある。
だがそれは「五感」の先にあるものであり、「五感」が感じられなければその先は受け取れない。
スパイクタンパクによって変化する「霊質」まで受け取れれば、更なる対処も出来るだろう。
そしてその変化は逆を辿って現れていることがわかるだろう。
つまりは「身体」に現れている。
「身体」に起こった変化は「霊体」を変化させ、その変化は「身体」に戻ってくる。
その逆もまた然り。
要は変化が「行ったり来たり」しているということである。
肉体の施術をするものが「癒奏術・禅」であり、肉体と霊体の施術をするのが「癒奏術・修祓」となる。
様々な「響き」を感受し、「受送行識」の連鎖の中で「響き」を返して整えてゆく。
それが施術の「極み」で起こっている事象であり、だから「癒し」の「響き」を「奏でる」のが『癒奏術』となる。
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