『三焦~気水の門と道』~または情報の通り道 《神人一致の理》
はからずも「コロナ・パンデミック」によって気付き、理解することとなった『三焦』というものについて書いておこうと思う。
「五臓六腑」の「腑」にあたる『三焦』は、他の「腑」とは異質な働きを司る。
他の「五腑」のように個別の「器官」のようなものではなく、身体全体から「気・水」を取り入れるための入り口の『門』であり、そして『門』から身体全体へと流れる「通路」でもあり、それゆえに侵入した「気・水」に含まれる様々な要素の「情報」も司る。
空気中にある「気」や「水」を「肌」から取り入れるわけであり、いわゆる「皮膚呼吸」によって空気中の「気・水」を取り入れ、その際に取り入れた「気・水」の『情報』も同時に解析することで、様々な経路へと「分配」していくことになる。
それほど「厳密」に分別し分配するわけではないが、それでも経皮吸収した時点で「情報」を解析する。
それゆえに「気・水の門」と言われる。
ここで「三焦」を『陰陽五行』に当てはめようとしても無理がある。
そもそも「六腑」の一つに分類されており、ゆえに「五行」に分配するには無理が生じる。
漢方における五行でも「三焦」はやはり『余り』なわけである。
だがこれを『理(ことわり)』にならって配置した『天地克日月五龍生克図』に当てはめると「三焦」というものが見えてくる。
ここに「三焦」を当てはめると、下の図のようになる。
全体を覆うように拡がる「三焦」は、単なる「門」ではなく全体に隈なく行き渡る器官である。
この「図」には五柱の女神が振り当てられているが、それら女神と「対」となる夫神は記していないのでここで説明しておく。
これは「出口王仁三郎氏」の類まれなる叡智によって気付き、理解したものである。
同氏が認知した『伊都能売神』は「五男五女」の十柱の神であり、その夫婦神が「対」となって五柱の神となっており、それらを「五行」に割り当てたものである。
記されている女神は
多紀理姫命
木花咲耶姫命
市杵嶋姫命
玉依姫命(乙姫命)
多紀津姫命
であり、ここに「五男神の夫神」を記すと
多紀理姫命 ー 天忍穂耳命
木花咲耶姫命 ー 天之菩日命
市杵嶋姫命 ー 正哉我勝々速日天忍穂耳命
玉依姫命(乙姫命) ー 天津彦根命
多紀津姫命 ー 活津彦根命
となる。
*伊都能売神については下記の記事参照
ここでわかる人は気付くと思うが「熊野櫲樟日命(クマノクスビノミコト)」の名が出てこない。
それどころか「天忍穂耳命」「正哉我勝々速日天忍穂耳命」と同じ神が二度出てきている。
だが、記紀では確かに「熊野櫲樟日命」が存在している。
つまり、この『天地克日月五龍生克図』の中の「三焦」の部分が「熊野櫲樟日命」となるわけで、その役割は「脾」と天地陰陽の関係にあり、「気水の門」と言われる如く「肝(木・気)」の前にあり「腎(水)」の後にある「門」であるため、入口から出口までを司る。
これが「熊野櫲樟日命」であり、いわゆる「陰」から全体を「認識」する立場にあるわけで、それはすなわち「蔭(かげ)」から「知る」という「八咫烏(ヤタガラス)」であり「事代主(事を知る主)」である『神』なわけである。
コロナ・パンデミックという大禍の中であったからこそ、気付けた「三焦」という器官の存在と役割から、「熊野櫲樟日命」という神の姿が掴めたわけである。
そしてこれを悟った時、やはり出口王仁三郎氏の叡智のすごさを思い知った。
この「三焦」が研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほど『スパイクタンパク』の毒性というものを嫌と言うほど思い知る。
スパイクタンパクが皮膚から侵入すれば、即座に「侵入した」ということがわかる。
それは、全身に張り巡らされた「三焦」という「気水の門」の門番たる「事代主」である「熊野櫲樟日命」の『察知能力』であり、それこそその神が「知る神」である所以なのである。
そして「天忍穂耳命」「正哉我勝々速日天忍穂耳命」と「同じ」であるはずの神が二度出てくるのは、例えば「木」に例えると「根」の部分と「幹」の部分に分かれているからで、「大地」に根付く「根」と、伸びる「幹(身・気)」の部分に分かれている。
「根」の部分は「結び」であり、それは「市杵嶋姫命」の『劔』としての「在り方」の役割そのものであり、「幹」の部分は「多紀理姫命」の『劔』としての「在り方」の役割そのものである。
『劔』とは、まず第一に「斬る」という「在り方」があり、そのための「姿(刃)」があり、そして劔で斬るための「結び」という「柄(握り)」があって初めて『劔』となる。
そこに「三女神」の役割がそれぞれある。
さらに、
木花咲耶姫命 ー 天之菩日命
玉依姫命(乙姫命) ー 天津彦根命
の四柱の対の二神は、「個」に対する「劔」を造り変える(打ち直す)ための鋼を鍛える「火(木花咲耶)」と「風(乙姫命)」である。
これが「神の次元」に於ける『霊の陰陽五行』であり『天地克日月五龍生克図』によって「五次元領域」の自身の「神霊体」と、「三次元領域」の「身体」がしっかりと重なり、ようやくすべてが整う『巡り』を現わす図となる。
そして、これらの叡智が『神人一致』するための「重なり」を現わした「地図」となり、「身体」を整えると共に「神霊」を整える術を可能とする「理(ことわり)」である。
だから施術に関して「神霊体」を扱う場合は上記の神様方のお力、導きをいただきながら行うこととなり、「導き」のないことはけっして行えない。
もし、導きのないことを好き勝手に行えば「神霊」と「身体」に『歪み』を生むこととなる。
それがどれほど繊細な事かわからないだろうから仕方が無いのかもしれないが、あまりにも「歪み」を生むものが多く、直しても、治しても、祓えども、浄めども、すぐに歪むのが現状なのである。
人の理、身体の理がわからずに、霊の理、神の理はわからない。
それらがいかに「理」に沿って整えられているかということを、知らなければならない。
『神の理』は『身体』にあり、『身体の理』は『神』にある。
されど、身体の理、身体の巡りを無視した現代は、神の理、神々の巡りも無視され乱れている。
三次元の身体、状況、社会が乱れていれば、当然五次元の霊体、神霊体も乱れ、霊界も乱れていることになる。
病を「身体」だけ見ているから何度でもぶり返し繰り返す。
この次元の身体、環境、社会だけでも整わず、縦の循環である霊界、神霊界の身体、環境、社会も等しく重なり影響し合っている。
そして『伊都能売神』とは『浄め』の神々でもある。
正常(清浄)な「在り方」「姿」「結び」を「整える」ための神々の力であり、『神』という「正常(清浄)」で「純粋」な「理」を「身体次元」において「整える」ことで、歪みの無い正常(清浄)な重なりを実現することが出来るわけである。
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