【勝利宣言】~思考停止と心理的コントロールされたプランデミック
「陰謀論者」と言われるワクチン忌避者ほど、さんざんに科学的データや科学的知見を調べつくしており、そのへんの医者などよりもよほど知見を持っている。
かたや、ワクチン接種歓迎者たちは自ら調べることなど無く、「誰か」の言葉を信じ込んでいる「妄信者」に近いものがある。
「陰謀論」という言葉の魔術に引っかかり、思考停止してしまって「自ら調べる」ということそのものをしなくなる。
「陰謀論」という言葉が頭の中に入り込み、賛成意見以外は耳に入らなくなっており、簡単に「思考停止」させられていることに気付かない。
現実逃避する思考は、見たいものだけを見て、見たくないものを見ないために「陰謀論」という理由付けをしているわけだ。
医者と呼ばれる者がすでにそうであるのだから・・・
自らもワクチンを接種し、そして多くの人に接種させてきた医師たちは、恐らく製薬会社が最初から示していた「注意事項」すら見ていないのだろう。
薬にしても必ず「注意事項」があり、処方する際にそれを「伝える」ことをしてこなかったツケだろうか。
「注意事項」を患者に伝えるのは薬剤師のほうだから。
医師はそもそも「注意事項」を見る習慣もないのかもしれない。
ファイザーのmRNAワクチンには「注意事項」として「シェディングに注意」を促す注意書きが初めからあった。
妊婦さんや母乳を与えているお母さんにシェディングの注意を促し、接種者と接触するとシェディン(伝播)するから『注意してください』という「注意書き」が初めからあった。
その「注意書き」をどれほどの医師が見たのだろうか・・・・
私はたまたま医師の知り合いが居り、身体の構造や機能について意外と「知らない」ということを知っており、さらに薬についても意外と「知らない」ということを知っている。
だから以外にも彼らは実験的な接種を難なくしてしまっているわけである。
厚労省や製薬会社がゴーサインを出したものを「疑う」という機序がそもそも無い。
そして、そもそも薬を処方するのは薬剤師であり、薬に関していちいち調べるなどという習慣も無い。
きっと、ワクチンを忌避している医師は、常日頃からちゃんと勉強し、自らが「納得」しようとする人なのだろう。
でなければ必然的に「スルー」してしまうように現代医療は出来上がってしまっているのだと思う。
だから、医師の言葉は初めから信用するだけの「根拠」がそもそも無い。
それは、ワクチンを忌避している医師の「少なさ」が証明している。
多くの医師は自ら接種し、そして家族にも接種させている。
「お利口さん」ほど「反抗」しない。
「反抗」しないことがベストだということを「学校」という飼育場で学んできて、「反抗」しないことが「上位」へ進むためには必要な事なのだと学んできたからこそ「医師」になれているのだろうから。
教えられたものを疑えば「点数」は稼げず、また、疑う暇すらなかったのだろう。
「答えはこれ」ということを疑うことなく「記憶」してゆく・・・・
それを繰り返すうちに思考の機序はそのように形作られてゆく。
習慣化された思考の流れには「疑う」という余地は既に無い。
だから最初に医療関係者に接種させた。
そして、医療関係者ではない多くの人々は、医療行為に関しては「医師」の言う事が「正しい」と無条件に受け入れる「習慣化」された思考の中にある。
「医療行為に於いて医師が嘘をつくわけがない。」と思っている。
別に医師は嘘をついてはいない。
ただ「知らない」だけである。
しかし、医師が「知らない」などとは夢にも思わない多くの人々・・・
病院で行っている医療行為が「間違っている」などとは夢にも思わない。
病院に「行き慣れた」人ほど病院が、医師が「正しい」と思っている。
一般人が何を言おうとも、医師がゴーサイン出しているほうを「無条件」に信じる。
まさか「注意書き」を見ていないなどとは思わないだろう。
だが実際は見ていない。
そんなものがあったことすら「知らない」だろう。
だから「科学的データ」なども見ていない。
見ているのは「厚労省」のデータばかりである。
今までと同じように・・・・・
「疑問」が湧き自ら「調べてみよう」と思い至り、行動に移すまでの「情熱」を持てた医師だけが「科学的データ」というものを目にしている。
それ以外は「習慣」の中で「疑問」は忙殺されて、日々流されてゆくという「習慣」へと回帰して、湧き上がった「疑問」は過去へと流されてゆく。
自ら調べれば大量のデータや知見が溢れており、いかに危険なものであるのかがすぐにわかる。
だが、自ら「調べる」という思考に至る人は少なく、だからほとんどの人は「情報」があることも知らず、知らないことが当たり前であり、だから他者も知らないはずであると思っており、知らないのに「危険だ」と言っていると思っているから「陰謀論」という言葉で「納得」出来てしまう。
そして、知ろうという「意欲」がそもそも無い人にとって、どんなに情報やデータを見せたところで「目に映らない」のである。
関心も興味も無い人に、いくら説明しても心に響かないのと同様であり、情熱をもって説明するほど忌避するだろう。
だから、いくら言葉を尽くしても、相手の心には届かないのである。
疑問すら湧かない人が疑問を持つには、何らかの「気付き」となる「経験」が必要となる。
そして、それが起こって「経験」をした人から「疑問」が生まれ、その「経験」が「疑問」を解消しようとする「意欲」を湧かせるほどの出来事でない限り、自ら「調べよう」という行動に至ることは無い。
プランデミックは『心理ゲーム』である。
人の「心の動き」が「流れ」であり、その「流れ」を利用したゲームである。
薬を市場に流し続けている製薬会社は、薬が流れゆく「流れ」を熟知しており、だからこそ「引き起こせる」プランデミックとなる。
「流れ」とは常に『高いところから低いところ』へと流れる。
人の意識や思考が「高い」と『思っている』ところから「低い」と『思っている』ところへ必然的に流れるのである。
心が「医師は正しい」「製薬会社は正しい」「厚労省は正しい」というふうに、常に自分の知識や見識より「高い」と多くの人が思っているから、そちら側から「流せば」下流まで行き渡ることとなる。
心理的に、無意識的に「優劣」をすでにつけてしまっているということだ。
自らの心に形作られた「優劣」が、心理的な「高低差」を生み出し、その「高低差」を利用して情報は操作される。
自分の中に根を張った「劣等感」や「優越感」が無意識的に「心理的高低差」を形作り、「情報」という「水」が流れて「川」となっている。
その習慣化された「川の流れ」に『毒』を流されても、川の流れはすぐには変えられない。
もし、その『毒』が即効性のある猛毒なら反射的に忌避するが、目に見えた変化や反射を起こすようなものでなければ、習慣を「変えよう」という行動へ至るまでの「意欲」とはならない。
自分と言う「森の木々」に変化が見られなければ、水が悪いとは思わないだろう。
だが、根っこから腐らせてゆくものならば、気付くのも遅れてしまうわけである。
木々の葉っぱが枯れだした時には、すでに根っこは駄目になっている・・・
そんな「毒」である。
「ジェイコブ・老チャイルド男爵の手紙」よりーーーー
・・・問題の中身が何であれ、それが深刻な問題であると世間一般が認識していれば、大事なのは解決策とその解決策への協力である。我々は問題を設定し、その解決策を提供する。実のところ、20世紀を支配したのは、事実でもなければ理性でもない。心理学の利用こそが20世紀を背後で動かした原動力だ。
・・・・ワクチンはこのプログラムにおいて心理学的な意味で極めて重要なのだ。きっちりコントロールしなければならないのは、衝動的で手に負えない人間の心だ。・・・・
・・・・ワクチン全員接種計画は、遺伝子への作用を通じた行動制御への扉を開くだけではない。現在の作戦にとってもっと重要なのは、ワクチンによる心理的行動制御である。・・・・
・・・・もし政府が「全員」にワクチン接種を受けさせることに成功したら、もはやワクチンに何が入っているかは重要ではない。 重要なのは、適合性、服従、そして平等の感覚である。これらが個人的で内面的な平等と信頼の感覚を生み出す。 セックスや宗教儀式で見られるように、人間が体に入れることを許容するものは、心や信念と深く関わっている。しかし精神面において、人々はすでに我々に降伏した。我々のワクチンを喜んで受け入れた者もいれば、あなたがすでに目撃しているように、世界中の政府が行使する強制力によって受け入れた者もいるが、いずれにせよ、人々は我々の前に膝を屈した。・・・・
ーーーーー
「降伏」とは『心理的優劣をすでに人は自分の心に植え付けている』ということだ。
それは「優生思想」の勝利宣言と同じ。 人々は既に自らを「劣等」と位置付けてしまっているということだ。
その証明が「ワクチン」であったということ。
一般の人は医師よりも自分たちの方が「劣性」であるとみなしており、医師は製薬会社よりも自分たちが「劣性」であるとみなしており、製薬会社は「学者」よりも自分たちが「劣性」であるとみなしており・・・
学者は資本家よりも自分たちを「劣性」とみなしており・・・・
ワクチンを反対する「教授」などほとんど居なかっただろう。
反対していたのは「名誉教授」か「准教授」である。
彼ら(学者)は「金」に対してすでに「劣等意識」を持っている証左である。
そして国家さえも「資本家」にはすでに逆らえない・・・ということがプランデミックで示された。
これは「物理的支配」ではない。
まさに「心理的支配」が完成していることを示したのである。
人々の心がすでにそのように「優劣」をつけてしまっている。
その「証明」がコロナのプランデミックである。
その「資本的枠組み」から脱出出来た者は『一厘』にも満たないであろう。
九分九厘の人間がその枠組みの中にある。
大富豪も国家も、学者も医師も一般人も「ただの人」と思えるものはほとんど居ない。
だが、「優劣」ありきで「平等」を構築してしまった人々の心は、自らが「劣性」であることをすでに『受け入れている』ということであり、それこそが「優生思想」の『勝利』である。
それは、歴史の中で「劣性」を強いられたユダヤ人の「勝利宣言」とも言える。
「我々が一番頂点に立った」という勝利宣言のようなものだろう。
「金」というものを「国家」や「王族」という、今まで「優生」であったものの上に君臨した・・・・
そういうことである。
彼らの「パンデミック」という『プラン』を【受け入れた】のである。
わかっていながら【受け入れた】のである。
国家も、専門の学者も、医師も【受け入れた】のである。
ほとんどの人間が『金』に対して自分の「劣性」を示したコロナのプランデミック。
そして、「優劣」がある高低差すら「平等」と位置付けた人々。
劣性と隷属の象徴である「マスク」を付けた人々。
そこには「科学的根拠」ではなく「心理的根拠」が内在されていたのである。
ソーシャルディスタンスでさえ「心理的操作」のためのものである。
人々は見事にコントロールされた。
様々な「心理的側面」を点かれてコントロールされたのである。
当然「陰謀論」という言葉も「心理的コントロール」のための装置に過ぎない。
そして、ただの「理由付け」でしかない。
プランデミックを起こした彼らが「勝利宣言」をしたのは・・・・
三千年の「支配のカタチ」に対してであり、そこに君臨してきた「血族たち」に対してであり、そしてそれらを後押ししてきた「神」と呼ばれる存在に対してである。
0コメント