【自分軸】 ~折れず曲がらず歪まぬ【草薙劔】

ちょうどウチから見える六甲山上に浮かぶ満月




今の双子座の満月というエネルギーは双子座らしく「情報」に関する総括を求めてくる。

そして、年末と言う事と、来年の七夕には天王星が双子座へと移動することをふまえての総括を求めてくる。


さらに『導き』に至っては「峻烈」である。

その「峻烈」さに押されてこれを書いている。






2019年末の段階では、人々の意識・・・魂レベルの意識、霊的意識は確実に向上していた。

直接、この目で見てこの身で体験して理解したことであり、

「この調子なら神へと手が届く人は多数現れるだろう」

という実感が確かにあった。


実際、施術中に高次の神が現れる人も居り、それを共通体験として経験してきた。



だが、

2020年という年を境にして、それらの道は閉ざされて行った。




2020年になる時、『二線二重に人が分かれゆく』という導きが来た。

その分岐点となるのが【自分軸】というものである。



自分で思考し、判断し、答えを出し、行動し、一切の責を負う。

それが【自分軸】というもの。


だが、多くの人は「他者との関わりの中での流動性」をもって思考し、判断し、答えを出し、行動していた。

言い方を変えるなら「みんなはどうしてる?」というのが判断基準であるということ。

それは【他人軸】というものである。


これが、2020年以降、人々の魂の上昇を妨げ、霊的成長を後退させた要因である。




2020年以降、コロナのプランデミックが発動され、人々は様々な『行動制限』を受けることとなった。

そして、この『行動制限』が【自分軸】と【他人軸】の人を明確に分けた。


2019年までは周りの人々との「相乗効果」で持ち上がっていたエネルギーも、2020年以降は行動制限によって周りとの「相乗効果」というものが途絶えることとなった。

元来【自分軸】を明確に持っている人にとってそれは多少の抵抗はあるものの、何ら妨げとはならないものである。

しかし、【他人軸】で判断している人々にとっては「今までと全く違う行動」を余儀なくされるだけで「何を見てどう判断すればいいか」という基準を見失うのである。

そして、より「多くの人」が採る行動を模倣して行動しようとする。

そうやって2021年には『八割と二割』の人に「分離」した。

それが「ワクチン接種」。


まさに「二線に分かれた」ことが明確となった年である。




だが導きは「二線二重に分かれる」である。



行動制限によって【他人軸】で判断し行動した人々は、明らかな霊的成長を止めた。

外に出ないことにより、ネットの世界に没入し、そこで様々な【他人軸】による徘徊を繰り返し、成長を止めるどころかせっかく上昇した霊格を、どんどん落としていくこととなった。


現実世界でウィルスがバラまかれ、ワクチンでさらに身体機能を落としていったことと同様に、精神世界でもあらかじめバラまかれていたウィルスによって【他人軸】の人々は感染して行き、現実世界では「おかしな」判断となっていたであろうことを「他者とのすり合わせ」が出来ない・・・というより「しない」ことで、どんどんと霊的格調というものを自ら下げていった。


【自分軸】というものがどれほど大切であるかという事を目の当たりにしたのである。




そして2024年末の現在、人々の肉体は「免疫機能」というものを失いつつあり、今まででは考えられないような感染の仕方を拡げている。

そして、【自分軸】がわからないままプランデミックを迎えた人々の精神も「自浄作用」を失っており、肉体が変化しているのと同じく「霊体」も変貌を遂げてしまっている。


霊眼で見ればその人の霊的姿は簡単にわかる。

姿だけでなく言葉の中にも「何もの」が混じっているのかさえわかるのである。

さらに言えば「目の前に居なくても」わかる。



2019年の段階では、多くの人がこのような霊眼を持てるはずであったと思う。

しかし、2020年を境に、進める人と戻る人、止まってもがく人というふうに分かれていった。

まさに「二線二重」に分かれたのである。




だからそのための立て直しを試みたが、「立て直そう」という人が実際少なすぎた。

立て直しをはかった人と、はかれなかった人の差は、ひとえに【軸】の違いである。


【自分軸】【他人軸】という【軸】そのものが歪められており、好き勝手な「解釈」で語られているものを、好き勝手に選び取りながら【自分軸】という人々は、自らの決定の【軸】が他者にあることに気付かない。

「自分で選んでいるから自分軸」だと思っているだけである。

だがそこに「選ばせる」という意図が入り込み、その意図に従って「選ばされている」ことに気付かない。

そもそも「自分で選べない」人のために意図された言葉なのであるから・・・・




mRNAワクチン接種者は血管障害、心臓障害、その他諸々の障害になる確率が上がっており、ひどい人になると「癌」を発症し、しかもそれが一気にステージ4まで進むため『ターボ癌』とまで言われている。

肉体の正常機構が失われたことと同じように、精神の正常機構も失われており、霊的視点で見た時にその人の霊性がまるで「ターボ癌」のように急速に悪化している人までいるのである。


実際、肉体の方は「感染しても気付かない」という『無症状感染状態』であるため、感染はすぶに爆発してゆく。

本来ならインフルとコロナ風邪は同時に流行しないものであるが、そんな常識さえ覆るほどに人々の免疫機構は正常さを失っている。


これが「霊体」にも起こっているわけである。

無症状感染者が多いのと同じく、『無症状霊懸かり』が爆発的に増えている。

だから霊性が衰えて「霊格」が落ちているわけである。

餓鬼懸かり、狐狸などの畜生霊懸かりとなっても、それらを【神】と崇めているわけである。

それらの囁きを「神の導き」「宇宙からの導き」と思い込み、それらの囁きに釣られることを【自分軸】と思い込み、自分の霊体が「人の姿」すら保てなくなっているのが現状である。


ある人は角が生え、ある人はくちばしが伸び、ある人は尻尾が生え、ある人は姿が崩れ、ある人は獣に抱えられ、ある人は蛇龍に引きずられ、それらが「美しく」あればまだましであるが、醜く歪んだ姿となっているのが現状である。



こうなればもはや『祓っても祓っても』無駄なのである。

その人がしっかりと自分の【軸】を取り戻さない限り、何度でも狐狸餓鬼の類を呼び寄せる。



神社に行って「綺麗」になろうとしているのであろうが、当の神社が「負いきれない」状態であり、かえって『穢れ』が蓄積して清浄さを取り戻せないでいる。

その蓄積した『穢れ』はそこに居る人々に感応し、更なる悪化を促進させるばかりなのである。




「正常」と「清浄」が同じ読みであるのは『神』の計らいである。

日本語とはそのように出来ている。


2020年以降、人々は今までの「正常」を失い、同時に「清浄」さを失っていった。

『自分の在り方』の「正常さ」を失ったため、『自分の在るべき』「清浄さ」をも同時に失ったのである。

それは、とりもなおさず【自分軸】というものを得られなかったがためである。




来年の七夕を過ぎれば【自分軸】の無い人たちは、混沌とした「流れ」にただ呑まれて行くばかりとなる。

それを『流れに身をゆだねる』『風の時代に風に乗る』などという手前勝手な解釈を出してさらに混乱を助長する人もたくさんいる。


【自分軸】のない人は、『糸の無い凧』と同じであり、風を切って「飛ぶ」ことなど出来ず、風にもまれてさっさと地面に墜落するだけである。

マストの無い船に帆を張れないのと同じであり、帆が張れなければそもそも風に乗ることなど出来ないのである。

風を『受ける』ためには【軸】は不可欠であり、自分の真ん中に【軸】が無ければ、風はすり抜けていくだけである。




【自分軸】とはけっして揺るがない『盤石』のものでなければならず、そこだけはけっして『動かしてはいけない場所』なのである。



「風の時代」とはいうものの、厳密には『水瓶座の時代』なのである。

水瓶座とは「不動宮」の星座であり、決して動かない「盤石」な基礎がある星座である。

『自分で在る』という盤石不動の【軸】が無ければならないのである。

そうして初めて「風に乗る」ことが出来る。



風の星座は三つある。

双子座の風は初発の風であり、産まれたばかりの風である。

天秤座の風はバランスを取り調和させる風である。

水瓶座の風は変革を促す風であり、時に突風となり台風となる風である。


水瓶座の突風は、糸の切れた凧を叩き落とし、他の船にロープを繋いだようなマストも帆も無い船は引きずられて沈みゆく。



そして、【神風】が吹いたとき、自分の軸に【神】が存在していなければ、その風を受けることも出来ず乗れるわけもないのである。




【自分軸】とはそれほど大切なものである。

それを「神話」に於いては【草薙劔】と言われる。


これから起こる水瓶座の大風は、八岐大蛇の如きものであり、その大風に誰一人として例外なく呑まれるのであり、それは八岐大蛇に呑まれるのと同じことである。

そして、最後に素佐鳴命が八岐大蛇の腹を割いて尻尾の辺りから取り出した【草薙劔】とはけっして折れず曲がらず揺らがない【自分軸】を体現した精神を持つ人であり、【軸】の中心には【神】が不動にして盤石に備わっている人である。

それを【神人(しんじん)】と言う。


すべてを薙ぎ払う素戔嗚命の十拳劔の一閃である【神風】を受けても、折れず曲がらず揺らがない不動の盤石さを持った【軸】である。





自分軸を持つという大切さと同時に、その難しさもあるだろう。

子供の頃より【他人軸】が当たり前の生活の中で培われたものを、如何にして【自分軸】へと移行させるか・・・・

【他人軸】を【自分軸】であると偽られてもわからないのだから難しいのである。


【自分軸】とは何ぞや?

そもそも【自分】とは何ぞや?


そんな原初の根本的な問いから始めなければならないのである。

しかし、その答えを安易に「他」に求めて来た習慣そのものを見直さない限り、その「問い」は無意味なものとなる。


『それを簡単に解決できるサプリのようなものがある』


それが【他人軸】な人を餌食にするスピリチュアルの罠である。




そしてもう一つ

「無症状感染」


無症状な霊懸かりは無症状感染と同じであり、他者に感染させるのである。

そうやって「霊懸かり」は増殖し続けている。


免疫のない人が無症状霊懸かりとなり、他者にどんどん伝播してゆく。


多くの医師が率先してワクチンを接種したように、多くのカウンセラーが感染を伝播し行く。

それがスピリチュアルの現状である。



霊性が衰えれば「霊懸かり」はいとも簡単に為される。






【自分軸】という鋼の劔は打って鍛えなければ『折れず曲がらず揺らがぬ劔』とはならない。

ただ「知った」だけでは簡単に折れて曲がって歪む。

知識だけ、理解だけでは「折れず曲がらず揺らがぬ」とはならないのである。

様々な状況、場面に於いて常に「折れず曲がらず歪まない」自分という【軸】を貫いて『鍛え』なければ【草薙劔】など到底至れない。

他者の言葉に迷い揺れ、他者の誘いに曲がり、他者への恐れに簡単に折れる・・・・

それを【軸】とは言わない。


非難に焼かれ、蔑みに凍り、誘惑に晒されても尊厳を守り続ける覚悟と行動とを続ける意思が必要なのである。

それでもけっして「自分から逃げない」者だけに誠の神の手が届く。



安易さに逃げ、楽に逃げ、逃げた先には逃げた者の行き着く場所しかない。

自分から逃げた時、自分の【尊厳】は失われ、自分の【軸】は抜け落ちてゆく。


【軸】が抜ければそこは空洞・・・・

霊懸かりの温床となるだけである。



禍霊(まがひ)を軸に据えたなら、自らの霊体は禍霊に似通ってくる。

だから今の世界の人々の霊体は、人の姿さえ保てない霊の姿で溢れているのである。




霊性に目覚めたと言いながら、狐の顔をして神を説く人・・・・

尖ったくちばしで善を語り神を語る人・・・・

人の上へ上へと行こうとし過ぎて、鼻持ちならない天狗のような人・・・・

角を生やして裂けた大口で祝詞を奏上する人・・・・

蛇の如く人に巻きつきエネルギーをススる人・・・・


穢れを湧かせ霊懸かりを『伝播』させゆく無自覚な霊懸かりたち。



私の周りにも数十人の人たちが居たが、今では「片手ほど」になっている。

2020年からの4年間でこのありさまである。

それほど【自分軸】を保ち続けるということは簡単ではないのである。

折れそうになり、曲がりそうになり、歪みそうになりながら、何度も何度も持ち直し整え直してようやく「ブレ」というものが減ってくる。

それを何度も繰り返すことでようやく「強さ」が生まれるのである。

それを「続ける」ということの大切さ、難しさ・・・・

それを乗り越えてようやく「折れず曲がらず歪まない軸」となるのである。




来年から、【軸】の有るものと無いものの差はもっと大きく歴然となってゆく。

七夕過ぎればそれは加速度的に爆発する。

自分軸を持とうにも、自分の意思すら持てなくなるかもしれない。

ただただ言われることに従うだけの畜生道・・・である。

自ら獣に堕ちたのだから自業自得だろう・・・・と言われても仕方ない状況となる。




自分の【軸】を明確に照らし続ける「光」となるのは自分自身の「感性」しか無い。

そして、それを磨くことが出来たのが「牡牛座天王星」の約7年間であり、それも来年の七夕までである。


2020年からの4年間で落とした「感性」をどれほど取り戻せるか?

さらに、照らした【軸】をどれほど保ち続けられるか?




神でも逆らえぬ『時節』が訪れる。





2019年12月の記事


2018年9月の記事




癒奏術・響庵

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