人の在り方次第で変わる蠍座満月のエネルギー




蠍座の満月と共に訪れた癒しのエネルギーは、心身の隅々まで流れ、再活性化を促してくれた。


滞り、巡りが弱くなっていた身体に、強制的にエネルギーを流し込み、強引に「淀み」の原因を破壊し押し流す。

そして全身を巡るエネルギーが、身体のみならず霊体の隅々まで行き渡る。


神々からの贈り物


受け取れたなら幸いである。



闇を抱えていたのなら、その闇に「火」が付くだろう。

燻り続けた炭火に風が入り、恐れは怒りに、怒りは恐れに、喜びは悲しみに、悲しみは怒りに・・・・

喜びへと巡らないのは、そこ(喜び)に執着という炭がくすぶり続けているから。

怒りは喜びとはならず、仄暗いあざけりの笑いへと転化する。

怒りをぶつけるという暗い喜び・・・・

誰かを悲しませ、恐れさせようとする喜び・・・・


蠍座の満月が、くすぶり続ける闇火を照らし、闇(病み)を露わに晒し続ける。



掃除洗濯してきた者は幸いである。

神々からのエネルギーは癒しとなり、次への活力を生む「火」となる。


種を撒いてきた者は、芽吹きを迎えるだろう。

その芽を大切にするがいい。

神々の祝福の雨が癒しとなって降るだろう。


古き木々は倒れ、葉は散り、うず高く積まれた倒木の蔭で、芽吹いた新芽たち・・・

まだ気付かれぬほどに小さき芽は、落ち葉を押し上げ、倒木を押しのけて、やがて幹となる姿を現す。


それほどの強烈な祝福のエネルギーが神々から、宇宙から降り注いだのである。


受け取れたものは幸いである。

身体の「幹」を押したてるようなエネルギーは、天地を繋ぐ柱となる身体へと導く。

肉体と霊体を繋ぐその幹は、高天ヶ原のあるさらに高みへ伸び行く。


その「光」は「憂い」と転化し「慶び」へと巡り、「安寧」をもたらし、次なる準備を「密か」に整う。


だが、「光」が「怒り」と転化すれば、攻撃して解消する「喜び」となり、それは多くの悲しみを生み、恐れから逃げるために怒りが点火される。

堂々巡りが繰り返されゆく。



沈む🌀と昇る🌀

どちらがどちらか明白だろう。



憂いた者は心を配り、だから慶びへと向かう。


だが怒った者は心を尖らせ、だから悲しみへと向かう。

怒りをぶつける喜び求め、だから悲しみへと向かう。



神の癒しのエネルギーは「光」であり「火」である。

同じものを受け取っても、現れ方は人それぞれ。

『心次第』というものぞ。



本来、動かぬものが動く時、世界は大きく転化する。

ダイヤルを回すように、神々のエネルギーはガチャリとダイヤルを回すように、世界の在り方そのものを回した。


その🌀のエネルギーをどのように受け取ったか?


その🌀のエネルギーに押されてどう進んだか?


沈む🌀と昇る🌀

どちらに進んだだろうか?



未だくすぶり続ける「思い」を持つ者よ

それが焼かれて消えるまで、心の焔は消えぬことになる。


『火の浄化』


怒りの元が消えるまで、燃やされ続けることだろう。


掃除洗濯終わった者は幸いである。

進め来た者もあと少しである。


おろそかにした者よ

自分の心に焼かれることとなるだろう。

自分の怒りに焼かれることとなるだろう。


自分が放った怒りの炎は、巡って自分に放たれる炎となって返ってくる。




蠍座の満月と共に神々は明らかにダイヤルを切り替えた。

本来、動かぬものを動かすために、終わる大地を手放した。

新しくなる大地のために、終わる大地を手放した。



そのエネルギーが「癒し」となるもの

そのエネルギーが「怒り」となるもの

分け隔てなく与えられるエネルギーは、受け取る心次第で変わる。



大祓いの大滝は、在り方次第で意味が変わる。

癒しのエネルギーともなり

恐れのエネルギーともなる

全ては人次第・・・・


大きな大きな転換点である。




癒奏術・響庵

心と身体と魂を癒す・・・それが「癒奏術」 肉体から霊体へ、霊体から神体へと手が届く唯一の施術です

0コメント

  • 1000 / 1000