【〇と・(教えと道)】~掴めぬゆえの「教義」と、示せぬゆえの「儀式」




いつも、疲れている時ほど湯船に浸かれない・・・・

浸かっていると必ず言霊は降りてくる


今日はタイトルにあるように「掴めぬ示せぬから型式に囚われる・・・・」という言霊


風呂から上がり、さて・・・それを「どう書き始めようか」と考えていると

『じれったい』

と言わんばかりに言葉が湧き出す・・・






教義、儀式は「手習い始め」

掴め示せれば「習い」は要らぬ

「習い」に執心しおるのは

掴めず示せぬ現われぞ



「出来る」までの「教え」の儀

〇(型)はひとつの登山道

・(道)に慣れるまでの手習い

・(道)に慣れれば〇(型)破る



・(道)無き〇(型)は命宿らず

弥栄に広がることも無し

・(道)を出すには十(結)ばなならぬ

真ん中十(結)ばな卍(独楽)は回らぬ

卍(独楽)回らねば ⦿(芸術)ならぬ



卍(独楽)が回りて命成る

ゆえに・(道)無き〇(儀)に命無し

〇(型)破られぬはただの〇(手習い)

・(道)無きゆえに真の〇(型)出ぬ



教義、儀式に縋る者

手習い終わらぬ身のままに

教え示して導きおるは

どこへ連れて行こうというのじゃ



・(道)知らぬ者の道案内

迷い彷徨い振り出しへ

「習い」に慣れた人々の

卒業出来ぬ習いの性よ



教え導かれているうちは

子供のように「なぎそ」の心

いくつになっても「なぎそ」の心

卒業出来ぬ「なぎそ」の心



鼻高天狗に偉ぶれども

幼子同様甘えの心

掴めぬ教義と示せぬ儀式

〇(型)を放せぬ「なぎそ」人



〇(型)に縋る世は終わりて候

・(道)に沿うて飛ぶ卍(風車)の世

・(誠)からズレた〇(型)は破られ

⦿(道の世)に回る卍(風車)



日ノ本(〇)は 日月ノ本(⦿)と 相成りて

・〇(日月)結んで⦿(瞳)なり

・〇(火水)結んで⦿(火風水)なり

・〇十卍⦿なり




*なぎそ

「なぎそ」と書きながら「なぎそって何なんだ?」と・・・・

聞いたことも無い言葉が稀に出てくることがあるが、後から調べて納得した

「なぎそ」は「薙袖(なぎそで)」のことで『袖口からたもとまでを薙刀(なぎなた)のようにそいだ形に仕立てた袖。江戸時代の年少者の振袖の一つ。』である。





原文

〇、〇は手習いはじめ  掴め示せれば習いはいらぬ  習いに執心しおるのは  掴めず示せぬあらわれぞ

できるまでの教えの儀 〇はひとつの登山道  ・になれるまでの手習い  ・になれれば〇やぶる

・なき〇はいのち宿らず 八坂に広がることもなし ・を出すには十ばなならぬ 真ん中十ばな卍は回らぬ 卍回らねば⦿ならぬ

卍がまわりていのち成る ゆえに・なき〇にいのち無し 〇やぶられぬはただの手習い ・なきゆえにまことの〇出ぬ

教義儀式にすがるもの 手習い終わらぬみのままに 教え示して導きおるは どこへ連れていこうというのじゃ

・知らぬ者の道案内 迷い彷徨い振り出しへ ならいになれた人々の 卒業できぬならいの性よ 

教え導かれているうちは 子供のように「なぎそ」のこころ いくつになっても「なぎそ」のこころ 卒業できぬ「なぎそ」の心

鼻高天狗にえらぶれども 幼児同様甘えの心 掴めぬ教義と示せぬ儀式 〇を放せぬ「なぎそ」人

〇にすがる世は終わりてそうろう ・に沿うて飛ぶ卍の世 ・からズレた〇は破られ ⦿に回る卍  

〇は⦿と相成りて ・○十⦿なり ・○十⦿なり ・○十卍⦿なり





*なぎそ

「なぎそ」と書きながら「なぎそって何なんだ?」と・・・・

聞いたことも無い言葉が稀に出てくることがあるが、後から調べて納得した

「なぎそ」は「薙袖(なぎそで)」のことで『袖口からたもとまでを薙刀(なぎなた)のようにそいだ形に仕立てた袖。江戸時代の年少者の振袖の一つ。』である。

つまりは「年少者のような・・・」という意味で「なぎそ」という『言霊』が出て来たわけである



癒奏術・響庵

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