『古代王朝と中世王朝と近世王朝の三つ巴の戦い』~グローバリズムのその先に・・・




現在、グローバリズムとナショナリズムの二極の戦いのように見ているが、実際はもっと複雑である。

右と左・・・・そんな単純なもので分けられるものではなく、だから敵は味方になり、見方は敵となる目まぐるしい現象が起こる。


現在の世界の混沌は「覇権争い」の混沌の表出にすぎない。

古代、中世、近世の三つ巴・・・・いや、それを眺めている太古の悪があり、そしていずれ現れる太古の霊脈への花道となるべき混沌である。




現在、アメリカに於いて二極化して戦っているのは「中世王朝」と「近世王朝」の戦いである。

「王朝」という『見方』をしてはいるが、実際は複雑な構造であるのだが、しいて言えばということでこのような言い方をしている。


中世王朝と言っているのは欧州の中世ごろの王朝で、それらの王朝は現在でも当然ながら影響力を持っている。

欧州連合やNATOなどもその外殻であり、だが国に人の出入りがあるように、それらの外殻にも様々な出入りがあって見えにくくなってはいるから、ぼんやりと「そのような型枠」なのだということを知っていればいい。


そして、近世王朝と言っているのは、近代に於いて巨大化した金融資本である。

だが、他の王朝も当然のように金融資本を抱えているから一概に単純な色分けは出来ないが、中世に於いて連綿と続く金融の血脈と言った方がいいだろう。

だがそれも全ての金融の血脈ではない。

何でもかんでも十把一絡げにして単純思考をすると間違う。

だがそれでも区別するために「近世王朝」と言っておく。


アメリカの対立は中世王朝と近世王朝の覇権争いであり、世界的な三つ巴、四つ巴の覇権争いの一端でもある。

だから対立軸に時に敵となり時に味方となる勢力が加わるから見えにくくなる。


だがこれを「霊界」の視点で、出口王仁三郎氏の「霊界物語」の視点で見ればよくわかる。

中世王朝派という大自在天派

近世王朝派というユダヤの邪鬼派

古代王朝という盤古大神派

そして第四勢力となる太古の悪鬼・露国の悪龍


くっきりはっきり分かれていないので、混ぜこぜになりわかりにくくなってはいるが、徐々に色分けがはっきりとしてくるだろう。



例えば、中国などは近世派と太古派に分かれている。

現在、国の権力を握っているのは近世派であり、太古派である客家とは根っこに於いて別物である。

だから日本に於いての「親中派」にも二通りあるわけで、それを「同じ」に見ると大きな間違いとなる。

中国に於ける太古王朝の末裔である「客家」は、天皇家と変わらぬ歴史の時間であり、いや、それよりも古く、国譲り以前の日本の王朝と非常に近しいものである。

だから天皇家も「太古派」となるわけであり、中国に於ける太古派は現在の台湾の中心でもある。

だから中国の台湾進攻は「近世派」と「太古派」の争いであり、だから日本も台湾有事に無関心であることはないわけである。


ちなみに、日本で「保守」という時、太古派と近世派に分かれる。

同じ「保守」でも『別物』である。

さらには中世派も残っている。

財務省などは中世派であり近世派に首輪をつけられた中世派であろう。


だから「保守」はどちらにしても「親中派」となるわけである。


親中とか親米などという見方で見れば本質を間違う。


そして常に対立軸に対して三つ巴、四つ巴と敵味方入り混じってくるからわかりにくくなる。




そして、誰が勝っているとか負けているとか・・・・・

3S政策の劇場思考に囚われて、本質を見誤ることになる。

スポーツのようなルールに基づく明確な見分けが出来ないが、人は単純化して見たがるから間違う。




中東で起こっている戦火は、近世派が太古派と戦っているわけである。

かつて殺された「フセイン大統領」は、自家に代々伝わる王族の証である「十六菊花紋」の指輪をはめていた。

天皇家のそれと全く同じ紋章である。

そして今、イランはイスラエルの近世派とアメリカの近世派の共闘しているものと戦っている。



近世派と中世派はよく共闘する。

だがその実は近世派が中世派を「動かしている」状況となっている。



また、ユダヤ人も二分・・・いや三分しており太古派と中世派と近世派が完全に二分している。

さらに、近世派と中世派は融合し、さらに太古派に混じり、太古派に近世派が混じり・・・・まだらな状態が続いていたが、これも徐々に色分けされてくる。

表面上の色分けと根っこの色分けは違う・・・ということだ。

トランプ氏の途中からの変化は、明らかに「太古派」が混じってきている。

それは、裏側の中世派が実は近世派であり、さらに太古派だった・・・・という変化に伴うのだろう。

近世派も分裂し始めている・・・ということだ。




混沌の末に最後に現れてくるのが「超古代の霊脈」であり、それが「国常立尊」の神の系譜である。

どの「派」にも属さないのは、今は「便所掃除」をしているような人々だからである。

三つ巴、四つ巴で出てくる灰汁(悪)を蔭で掃除している人々・・・

神界の映しそのままである。




人種では分けられず、国でも分けられず・・・・

だが、魂は軸を変えられない。

そして、魂が露わとなる時代となっている。

だから今まで混ざっていたものが、今後どんどん分離し色別れしてくるだろう。


魂の「在り処」は『零統』そのままの在り方を現出する。

だから、『何を神としているか』ということが一目瞭然となってくる。

意識して神の前にひれ伏していようと、魂の本質が神にそっぽを向いていれば、そのままそれが現出してくる。



掃除洗濯して魂を磨く時間も残りわずか・・・

獣はそのまま獣の姿と変わりゆく





ひふみ神示 五十黙示録 星座之巻

第十四帖 目から泥を洗ひ去ると見へてくるぞ、右の目ばかりではならん、左の目の泥も落せよ。泥のついてゐない人民一人もないぞ、泥落すには水がよいぞ、世の元からの真清(詞)水で洗ひ落し下されよ、世の元の元の元の真清(詞)水結構。 


 第十五帖 十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加へて二十二柱、二十二が富士ぢゃ、真理ぢゃ、又三であるぞ、今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、このことよくわきまへよ。 




癒奏術・響庵

心と身体と魂を癒す・・・それが「癒奏術」 肉体から霊体へ、霊体から神体へと手が届く唯一の施術です

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