『宇佐の山神』 《淺田友神帳》
素材:ケームまてりあるず
4年ほど前だったか・・・・
九州の「糸島」へ行った時のこと・・・・
何故「糸島」へ行ったのかと言うと「豊玉姫」の御呼出しがあったらである。
畑の中にポツンと佇む村社
なぜかそんなところに呼ばれたわけである。
たぶん人が居ない方がいいのだろう。
大きな神社では人が大勢いるため、まさに「気」が散ってしまっている。
様々な「念」が場を乱しているわけであるから・・・・
だから「呼ばれる」時は「人が居ない」場所であったり時間であったり天気であったりする。
せっかく九州へ行くのだからと「宗像大社」へ寄り、その後「糸島」へ向かったのであるが、その糸島の神社へは夕刻ごろにようやく到着したが・・・
『今頃来たか!』
と言わんばかりの龍神が神社の上空で苛立ちながら待っていた。
「怖いなぁ・・・」
ずいぶん待たせてしまったのだろう。
謝罪して参拝する。
すると
『志賀島へ』
次の行き先の支持を受け、一泊して翌朝「志賀島」にある「志賀海神社」へと赴いた。
博多港から船に乗り志賀島へ向かいながら
「まさか次は対馬へ行けとでも言うんじゃないだろうな・・・・」
などと考えていたが、用事はここで終わったようで、ホッとして再び船で博多港まで戻り、遅い昼食をとる。
そして、時間が出来たので大宰府にでも行ってみるか・・・と思って駅へ向かい切符を購入しようとしていると
『宇佐』
「へ?」
『宇佐神宮』
「は?」
首を上げて路線図に目をやると、瞬時に「宇佐」までの経路が確認できた。
「いやいや大分だぞ!?」
『・・・・・・』
「・・・・・・」
『・・・・・・』
「・・・・はいはい、わかりました。」
そうして宇佐まで行く羽目になる。
宇佐の駅に着くと正面の小さな山に「USA」の大きな文字が掲げられている。
「USA(うさ)」
「ダジャレかい!」
それを見て少し気がほぐれた。
そして、駅からタクシーに乗り「宇佐神宮」に到着すると、すでに夕刻・・・・・
境内では禰宜や巫女姿の職員さんたちが帰宅しようとかたずけ始めている空気感を醸し出しながら「そろそろ終わり」という行動をとり始めていた。
仕方ない、これも「人払い」のための「時間差」なのだろう。
そんなことを考えながら「本殿」の方へ向かおうとして歩いていたら、妙に「左側」から意識を引っ張られる。
左の方を見てみると、数百メートルほど離れたところに小さな小山があり、そこへ続く道があり、その山のふもとに鳥居が見えた。
おそらくそれも「宇佐神宮」の神域の摂社があるのだろうが、
『こっち』
というふうに誘ってくる。
「いやいや本殿に行かねばならんから」
『いや、こっち』
食い下がって引っ張ってくる。
仕方なく
「わかった、本殿に行ってから必ず行くから」
と返すと、引っ張られる力が緩んだ。
「何だろう」と思いながら本殿へと向かいながら、所々の摂社に挨拶をしていく。
そして本殿に参拝した後も、別ルートで降りながら摂社に挨拶をしてゆく。
そうして小一時間ほど後、再び先ほどの「引っ張られた」ところまで戻って来た。
未知の先にある小山の麓にある鳥居を見ていると、完全に「こっち」と誘っている。
「なるほど、たまたまじゃないのだな。」
たまたま通りかかったから「誘ってみた」という事ではないようだ。
夕刻の空は薄暗くなり始めていた。
「仕方ない」と思いながら、小山へ続く道を進んでゆく。
そして鳥居のところまで来たとき「感謝」の念が伝わって来た。
「いや、まだ何もしていないぞ。」
心の中でつぶやきながら、鳥居をくぐって小山を登ってゆくと、一つの摂社が現れたので挨拶するため近づくと
「ん?なんだ?妙に酒臭い。」
地面を見ると摂社の前の少し濡れていて、そこから酒の匂いが漂っている。
「誰かが撒いたのか?にしては新しいぞ。」
なんでこんなところに酒を撒いたのか・・・掃除されなければ汚れになるのに。
そして、まだ上へと続く道があるので登ってゆくと、道の端に車が止まっているのが見えた。
「管理の人が来ているのだろう。なら、あの酒臭いのも掃除するだろう。」
そして車の横を通り過ぎ、少し登ったところがどうやら頂上のようで、そこにも塀と門で囲まれた祠があった。
「車が止まっていたのに誰もいないなぁ。山の中に分け入って用事でもしているのだろうか・・・」
まぁいい。
本殿を正面にした門は閉じられており、その門前に立ってお参りしようとしたら・・・
「??」
閉じられた門の奥にある祠の前で何かが動いた。
よく見ると「人」である。
一瞬、幽霊でも見たのかと思ったが、よくよく見てみると中年の女性が座り込んで、自分の前に蝋燭を立てて、手を合わせながら何事かしている・・・・
「何だ?あれは・・・ここの人(神社の関係者)じゃなさそうだ。」
そういえばさっきの車はこの女性のものか。
じっと見ているが、微動だにせず「拝んでいる」ようである。
塀で囲まれ門は閉ざされているのに、どうやって入ったんだ?
まぁ乗り越えられると言えば乗り越えられるが、「そこまでして」この女性は入ったのだろうか・・・いや、そうなんだろう。よじ登って入ったんだろう。
『はらってくれ』
思念が来る。
「祓ってか、払ってか、掃ってか・・・・」
『祓ってくれ』
なるほど、この人初めてじゃないな。
時折こんなことをしに来ているのだろう。
だが、それが元で「穢れ」が生じている。
『そう、だから祓ってくれ』
「・・・・・・・」
仕方ない、盛大にやろう。
三礼八拍の大祓い祝詞
五芒相克と九字の劔祓い
それでも微動だにしないその女性に、思わず笑ってしまった。
なんなら経緯を評する。別の意味で・・・・
これは埒が明かんな・・・・
そこで場の浄化のための式神龍を三体放っておく。
彼女が帰った後に浄化をしてもらうためである。
そうして山を下りていると、一つの石碑に引っ張られたので近づいてゆくと
『感謝する』
意識が来る。
「あなたが呼んだのか?」
この小山を預かる地祇(神)様のようであり、石碑を媒体として語りかけてくる。
『そうだ、だがまだ足りん。』
「では・・・・」
そういって「摩利支天の真言」を込めた式神龍七体を放ち「山地祇」に預けた。
七体七色の変幻自在の浄化をこなす。
どんな状況にも対応できるだろう。
すると、ようやく語り掛けてくる意識が和らいだ。
「しかし、なんで俺を呼べたんだ?」
何の縁もゆかりもないのに呼べるのか?
すると
『和気麻呂』
「和気麻呂?・・・・・和気清麻呂公のことか?そういえば酒が撒かれていたところは清麻呂公の祠だったか。」
目の前の石碑をよく見ると「和気公之碑」と刻まれてあった。
頂上の祠は「応仁天皇」の分け御魂である。
だが和気清麻呂公が仕えていたのは「称徳天皇」であるはず。
だが、山神にはそんなことは関係ないか。
再度山大龍寺
ちょくちょく自転車で行く場所である。
そこは和気清麻呂公が開山した場所であるから、なるほど、縁がある。
つまりは・・・・和気清麻呂公に『お?近くに縁のあるのがいるぞ、これを呼べ。』となったのだろう。
なんか腹が立つが・・・仕方ないか。
山を下りるととっぷりと日が暮れている。
結局、遊行する時間も、お土産すらまともに買えず、九州旅を終えて帰路に就いた。
後に確認したところ、ここは「大尾山」といい、頂上の社は「大尾神社」という。
それにしても・・・・・・
結構な人数の神職の人が居て、誰も受け取れないものなのか?
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