『神の御名』と『人の御名』~伊邪那岐伊邪那美の結び
神の御名を頂くは 神の名の気を我が身に結ぶ
意叉名気神と意叉名実神の
みとのまぐあひ あめつち結び
気と実 結びて 君(気実)と成る
神人和合の君が代は
八千代のあめつち結ぶ道
神は人なり 人は神なり
地引の岩戸 開けし君が代
頂いた『御名』を大切にしたいと思う。
ひふみ神示 夜明けの巻 第三帖
天の異変 気付けと申してあろが、冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏 雪降ることもあるのざぞ。神が降らすのでないぞ、人民 降らすのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。 訳の判らん病ひどくなって来るのざから、書かしてある御神名 分けて取らせよ。旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。心引かれる事 残しておくと、詰らん事で詰らん事になるぞ。もう待たれんことにギリギリになってゐる事 判るであろがな。
ひふみ神示は「人」に対して書かれたものと「霊」や「神」に対して書かれたものが混在している。
それは「わかる時が来ればわかる」というものである。
わかった時に「あぁ、これはここの道しるべだったか・・・」という気付きとなり、自分がどこまで来たかがわかる「道しるべ」である。
歩まねばわからず、登らねばわからず・・・
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