『血統』と『霊統』と『神統』と 《高天ヶ原・奥宮櫻殿》
『選択的夫婦別姓制度』に関してnoteのほうで書いたが、
では『霊統(霊的系統)』はどうなるのだろうか?
と考えてみた。
そもそも「血統」と「霊統」は必ずしも一致するものではないだろう。
途中で「婿養子」となった人が、「血統」を再び『盛り上げる』ということは歴史上多々あり、たとえば「上杉家」の危機を救った「上杉鷹山」は『婿養子』として九州「秋月家」から上杉家に来た人物である。
そして、このような例はほかにいくつもある。
九十七代続いた神道の「武内家(武内宿祢)」も同じく、昭和の時代に『婿養子』となった人物がやはり同家の危機を救っている。
おそらくこれらは「霊統」による采配であろう。
だが、だからこそそこには「神意」なるものも潜んでいるだろうことは想像がつく。
つまり「誰でもいい」というわけではない。
「上杉氏(長尾氏)」も「秋月氏」も、元は『平氏』である。
つまりは『平氏の血統』ということだ。
「武内家」については詳細はわからないが。
なんだかんだで「元の血統」は続いている。
まぁ、さらに遡れば、より多くの人も「平氏」に繋がるであろうが、それがしっかりと『連続』しているかどうか・・・
DNAとして色濃く「継承」されているか・・・
となると、やはり出自が明確なほうが当然のことながら「混じりけ」が少ないわけである。
そして、過去から連綿と「続いている」ということは、未来へと「続く」という確かさを補強するものとなる。
日本人は「血統」と共に「霊統」をも受け継いできた。
そして更に「霊統」の先にある「神統」も同時に受け継いでいる。
少なくとも二千七百年ほどは確実に「神の系譜」を受け継いでいるのである。
その中心にあるのが「天皇家」であり、日本の神々を「継承」するための中心軸として存在しているわけである。
『女系天皇』になるということは、その『神統』さえ変わりかねないということ。
はたしてその覚悟有りや?
大本教の「出口王仁三郎氏」も婿養子である。
だが彼は「神託」によって見出された人である。
ゆえに「神統」は継承されているのであろう。
やはり「誰でもいい」わけではないということだ。
『女性天皇』を迎えることも、『女系天皇』を迎えることも、もしかすると『神の采配』なのかもしれない。
選択は自由である。
だが、その選択の「結果」の責任は負わねばならず、だからこそ「覚悟」して選択しなければならない。
その先駆けの「夫婦別姓制度」である。
あきらかに「共産主義的破壊」であろう。
「神話」の破壊、「神」の抹殺が最終目的の『共産主義的破壊思想』の仕掛けに、乗るも避けるも自由である。
そして、その先に起こる「結果」に対して、選択したものが「責任」を負わねばならない。
「自由」と「責任」は表裏一体。
それが水瓶座の『自由』である。
0コメント