『在り方』~生まれるべくして生まれる「人型」 《霊界探訪》
「十日えびす」ということなのか 夢の中での霊界探訪・・・
「起きがけ」に観る夢は 霊現世界の「結び目」である
とある王国の『王の在り方』を看破し その『在り方』を問う夢であった。
「心の内」が『在り方』に現れ、世を乱す『因』となるを王に問う。
そして娘の『王女』に座を譲れと、『王女』の無私の『在り方』こそ大事と王に説き聞かせる。
説き聞かせる自身もまた『女王』
もしかすると先ごろからの自分の「問い」である「女性天皇」への「応え」なのか?とも思う。
だが、肝心の「導き」の中心は『祓い』
人の『在り方』の「掃除、洗濯」である
えびす神 事代主は「人を釣る」
何かで人を「釣って」動かす
綾釣り(操り)上手のえびす神
『在り方』直せと神直日 御言給いし夢の中
『祝詞』 意乗り 祷(いの)らせと
真澄の心で祷らせと 御言給いき・・・・
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何を思って生きているのか
何を真中に抱いているのか
それで見るべき世界は変わり
自らの「型」が整えられる
どんなに違った姿で見せても
「型」から真中の思いがわかる
偽ろうとする行為さえ
すでに示現する「型」である
「型」がゆらゆら定まらぬのは
真中に抱いている「思い」が定まらぬからで
いくつもの思いをその時々で
取り換えるから定まらぬ
真中の「思い」が『軸』となり
駒(こま)のように回りて現る
それが『在り方』という『人型』
真中の「思い」が姿に現る
天の斑駒(あめのふちこま)巡るを止めれば
人の真中は偏り歪む
真中が歪めば人型歪み
在り方そのものが人に非ず
怒りに留まれば怒りの修羅
喜びに留まれば喜びの馬鹿
悲しみに留まれば悲しみの蛇
恐れに留まれば恐れの餓鬼
天の斑駒 左男鹿(さをしか)の八つの耳を振立てて
今すぐ「動け」と聞こし食(め)せ
怒り 喜び 悲しみ 恐れ
四獣八つの耳振立てて
巡り逆巻き暴れる駒鹿(うましか)
鎮まり巡りを戻せと聞こし食せ
天は心 地は身体
天が狂えば地も狂う
真中が狂えば斑駒 左男鹿
巡り歪めて大地も歪む
人の在り方は心の人型
天地結ばれ在りのまま
天の在り方 地に現れる
心の思いが身に現れる
心の真中と「型」が違えば
そのまま「歪み」と現れる
言葉美麗に整えたれど
歪んでいるから醜き姿
天地を祓う『祓祝詞』は
歪んで暴れる『心』を祓う
執着 偽り 思いの根
綺麗に祓うが『祓い』なり
歪んだ『軸』で祝詞を祝(の)れど
心 浄まるわけは無し
「何」に向かって祝るのやら
自分の心に向かわねば
天の斑駒 左男鹿の
耳に届かぬ戯言となる
天の斑駒 左男鹿は
歪んだ自分の心と知れ
執着 偽り 思いの根っこを
抱く自分に確と言い聞かせ
確と「手放せ」と言い聞かせ
浄め沈めて「巡れ」と聞かせ
天津罪
畔放(あはなち)溝埋(みぞうめ)樋放(ひはなち)頻播(しきまき)串刺(くしさし)生剥(いきはぎ)逆剥(さかはぎ)糞戸(くそべ)
すべて「人の心」が起こしているのぞ
歪んだ心が他人の心に
「天津罪」を起こしているのぞ
畔放(あはなち)溝埋(みぞうめ)樋放(ひはなち)頻播(しきまき)
情けの「水」を歪める行為
他者の情けの巡りを壊し
「水」を奪う餓鬼の性
串刺(くしさし)生剥(いきはぎ)逆剥(さかはぎ)糞戸(くそへ)
恨みつらみの淀んだ思いが
他者の心を傷つけ壊すは
畜生、修羅の心が起こす
『天津祝詞』を乗りて祝る
神の目となり乗りて祝る
浄玻璃鏡に写る心の
「在り方」写して祓い浄める
狂ったままで放置すれば
国津罪へと駒鹿進む
国津罪
生膚断(いきはだたち)死膚断(なおりのはだたち)白人(しらひと)胡久美(こくみ)己(おの)が母犯せる罪 己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪 畜犯せる罪 昆虫(はうむし)の災 高つ神の災 高つ鳥の災 畜仆し(けものたふし)、蠱物(まじもの)せる罪
天津罪が示現され 国津罪へと進みだす
天の斑駒 左男鹿の 狂った巡りが起こす災い
生膚断(いきはだたち)死膚断(なおりのはだたち)
他者の身体をを傷つける
餓鬼畜生に修羅の性
白人(しらひと)胡久美(こくみ)
自身の身体に病みが湧く
歪んだ思いが病み(闇)となる
己(おの)が母犯せる罪 己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪 畜犯せる罪
自分が解らぬ霊懸かり
もはや自分は自分に非ず
高つ神の災 高つ鳥の災
人の歪んだ心が寄せる
神の怒りの天の災
畜仆し(けものたふし)、蠱物(まじもの)せる罪
呪いが凝りて地獄界
現世に示現せんとする
今今の時を鑑みよ
無数に現る「国津罪」
最後の「蠱物(まじもの)せる罪」までが
示現されたる現世の世界
伊弉諾神と伊弉冉神が 結ばれるとはそういうことぞ
天地結ばれ示現する 逆さま天地も示現する
逆しまな心 示現して 地獄が湧き出す天地の結び
世界を地獄に変えるのは 人の心の「天津罪」
巡るを止めた執着の 天の斑駒 左男鹿の狂い
執着心の下心 思いに沈んだ情の水
真中に引き上げ「愛」と為す
大祓いの祝詞に意乗れ(祷れ)
示現する神 素戔嗚命
天津心の「在りのまま」
素戔嗚の🌀(渦)に示現するのは
心の真中に抱いた思い
昇る🌀と沈む🌀
分かつは心の『在り方』なり
素佐鳴命が「現れる」とは
心がそのまま示現する世界
天津罪は国津罪となり
地獄が湧き出す逆さま天地
天の斑駒 逆剥ぎて
天地逆さの地獄絵図
蘇民将来急がれよ
蘇民将来急がば『回れ』
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ひふみ神示 地(くに)つ巻
祓ひせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても大望であるぞ。今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主お祓ひの祝詞(のりと)あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主 宣(の)ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。祝詞はよむものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それ丈では何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、神のことは神主に、仏は坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。
神に会した「椎津根彦」 🌀の目の中の乙姫神
玉手箱を開けたりて 言(事)白しめす「事代主」
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