『未来の記憶』~時間を超える次元の体験




以前、毎月一回開催されるスピリチュアルのワークというものに参加していた時の、とある日に開催されたワークでの出来事である。



次元上昇した中で繰り広げられるそのワークで起きた出来事を、他の人と違って私は概ね「密な体験」をしていた。

というよりも「そこで何が起こったか」ということを割と明確に認識できていた。


と言うのは、他の方は「何が起こったか」までは認識できていないようであったからだ。



その体験したものを「主催」されている方が後日、詳細にレポートとして送ってくれ、それを見ると「体験の整合性」が取れるわけである。

だが、ほとんどの人は「眠っていた」とか、覚えていても「なんとなく光が・・・」とか、そのような「体験の記憶」しかないのがほとんどで、「どんなことが起こっていたか」という詳細な体験の記憶を持っている人がどうやら居ないようなのである。


他の人は「次元を超えた霊的記憶」を三次元の自分が「共有」出来ていないのだろうと思う。


その「ぼんやりとした記憶」では「整合性」は取れないだろう・・・と思う。

「整合性」が取れない状態で、「ただ信じて」いるという状態なのだろう。

それとも、あえて「わかっている」ことにしているのか・・・

どちらにしても「整合性」は取れていないだろう。



ある日のワークで私は「かなり濃い」体験をした。

何をしたかと、「他の参加者の淀みを浄化」したのだ。

「した」というより「させられた」が正しいだろう。


その高次元ワークでは、私はいつも「瀬織津姫」に『使われている』ことが多い。

それは「体験させる」という「指導」であり「教え」であり「導き」というものであるが、それにしても「こき使われて」いるのである。

そして、後に送られてくるレポートで、それは明確に「整合性」が取れる。


私が「こき使われて」様々なことをしているのだが、主催者の先生は「瀬織津姫」が『それ』をやっている・・・というふうに見えている。


だが、その「瀬織津姫がやっている」という『それ』を、私はワーク中に「自分でやっている」という「体験」をしている。


つまり、『観ている位置』が私と主催者の先生では「違う」ということがわかる。

だが『起きている』ことは一致する。



いつも「お金を払って仕事をしている」気分にさせられるのである。



そんなある日のワークにて、私は他の参加者の「心の淀み」を吸い上げて「浄化」したことがある。

実際は「姫様」が吸い上げた「淀み」は全て『私の身体(霊体)』が「背負わされた」わけであるが・・・・

突然背負わされた「淀み」は重く、まるで「海底へ沈んでいく」感覚に襲われた。

そんな「沈んでいく」最中に、突然「教え」が始まる。


『あれで浄化しなさい』

「あれ?」

『渡しただろう』

その時、ある映像の記憶が蘇る

「あぁ、あれか。で、どうやって?」

『・・・・・・・・放て』

「???」

『愛を放て』

「?????????」

『・・・・・・』


え?それだけ?


海底へと沈みゆく中で、思いを巡らせ・・・

「とりあえずやってみよう」

ただ思いつくままに「放つ」をやってみた


バチバチバチ!

火花が飛び散り、まるで大きな線香花火のようになった


これでいいのか?

そう思いながら「花火」が続く・・・

すると身体がだんだん軽くなり、沈んでいた身体が浮き上がり始めた



あぁ、なるほど・・・・

「浄化」の一つの「方法」を教えたかったのね



いつもこのように「スパルタ」で『教え』は実行される。




だが問題はここからである。

実は私は「ワークの開催日時」を『一日間違えていた』のである。

SNSで「昨日のワークは大変だった」とつぶやくと

『ワークは今日ですよ』

と、主催者の先生に指摘された。

確かめてみると「一日間違えていた」ことがわかった。



後日、その日のワークのレポートが送られてきたが、いつものようにワーク中の体験の「整合性」がとれたわけである。

私が体験したことを、先生は「別の視点」からその「出来事」をみていたことがわかった。

「瀬織津姫」が出てきて「淀み」を吸い上げ、花火のような光で浄化した・・・・と。



体験の「整合性」には驚きはしないが、「一日間違えていた」ことに一番驚いた。

そして「整合性」がとれたということは、昨日の私と今日の皆さんが「同時に体験している」ということである。


これは「時間を超えた」のだろうか?

いや、上の次元では時間概念そのものが違う。

ただ、三次元では他者にとっては「未来」に体験する「記憶」を、一日手前で私が「有している」というのが客観性ある言い方かもしれない。

そして、その事実は非常に重要な要素であろう。


それを知っているか知らないかで、体験から得られる様々な情報は意味が変わる。


三次元と五次元はけっして「並行」して進んではいない・・・という事実認識は、「勘違い」というものを防ぐのにも大いに役立つ。


「もしかしてそれも教えるためにわざと一日間違えさせられたのか?」

『・・・・・・』


どうやらそういうことでもあるらしい・・・・・




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