藤憑(トウビョウ)または蛇蠱(へびみこ) 《霊界探訪》
よくわからないもの・・・・と言った方が良いか。
「トウビョウ」や「へびみこ」というものの「伝承」を調べていると、様々なものが混じっているように思える。
蛇なのか蟲なのか・・・・
現代のような生物分類以前の分類観では曖昧模糊としていても仕方がないだろう。
この世の生物ではなくあの世とこの世の「狭間」の生き物であってみればなおさら曖昧模糊となる。
へびのようなもの
蟲のようなもの
長いもの
小さいもの
およそそのような認識のものであることは共通した認識として在る。
そのような姿の「妖(あやかし)」である。
座敷童(ざしきわらし)のように勝手に住み着いたりするようで、稀に飯綱(イズナ)や管狐(クダギツネ)のように『使役』できるものもいるようである。
飯綱と管狐は「同じもの」のようでもあり「別のもの」のようでもある。
このへんも割と曖昧なところがある。
私が知る「飯綱」はネズミのようなイタチのような・・・という代物であった。
ちゃんと足もある。
しかし、「稲荷」などでそれらが飼育されているところを見ると「キツネ」と言えなくもない。
管狐なんかは「管(くだ)」の中で「飼われている」妖(あやかし)であり、どちらかというと「蛇」に近い。
名前だけではわかりにくいものである。
飯綱も「綱」であるから「細長い」イメージがあり、やはり「蛇」的なものを想像されているとも言える。
これらはこの世の生物と違って「垣根」が曖昧である。
なぜこのようなことを調べていたかと言うと、先日初めて目にした・・・・いや観たからである。
ある方を施術していてたまたま憑いているのを観たのであるが、始めは「水子か?」と思った。
顔が「人の子」のような感じであったからだ。
で、忘れないうちに書いてみた。
何かの意図をもってくっついてきたわけではなく、たまたま「寄せやすい」人だったから・・・というそれだけの理由である。
悪さをする様子も無く、なんなら「困っている」ようにも思えた。
だから「水子のお寺へ・・・」と最初その方に言ったのであるが、言っている最中に横から『道通さんへ行くように・・・・』という言霊が来る。
なので「道通さんへ行ってみてください」とお伝えした。
私自身「何でだ?」と思ったのですが、そのように言われたのでそのままお伝えした次第です。
その後、「あれは一体なんだったのか?」と気になっていたので調べることにした。
わざわざ「道通さん」へ行くようにということであるから、当然それに何がしかの関係があるのだろうと思って調べて、最初の「トウビョウ」や「へびみこ」に行き着いたわけです。
「おそらくこれだろう」
トウビョウというものを調べていて結論に至った。
翌日、さっそく「道通さん」へお参りに行ってくれてたので、念のため聞いてみた。
「身近に小豆島の出身者か、もしくは道通さんへの信仰の厚い人はいますか?」と・・・・
すると、さっそく返答がきて
『小豆島の八十八か所参りや道通さんを熱心に信仰しているおばあさんが居て、昨日、その息子さんが何かに取り憑かれたようになってました。』
とのこと。
さもありなんや・・・
本人にその気が無くとも、先祖の誰かがそのような「呪術」に手を出していたりすると、子孫にその影響が出てしまうものです。
「飯綱使い」がいい例でしょう。
先祖の「飯綱使い」の霊が「守護」するように居たりすることがあり、その「霊」が「飯綱の霊」を使うわけです。
その守護は時折守護している人間に重なったりします。
すると、その人物は「霊」そのもののように振舞い始めます。
見た目が明らかに変わるのですぐにわかります。
だから、「そこへ引き寄せられている」というのも、守護的な、先祖的な霊がそちらへ導いている・・・ということです。
そして、その導きを『神』としてしまうのです。
しつこく「審神者(サニワ)しなさい」と言っている意味がわかりますね。
翌日・・・・
夢の中で人っぽいおどろおどろしい妖(あやかし)のようなものを退治している夢を見ました。
毘沙門天真言を唱えながら取り押さえたところで目が覚めると、室内の空気が異様に重くねっとりとしている。
「あぁ、空間ごと妙な世界に重なってしまった」
と思い、三か所の神棚に御神酒を供えて「祓い」をしました。
毎日やっていることを目覚めてすぐに繰り返しただけですが・・・・
もうすぐ「夏越の大祓」です。
梅雨の湿気と共に重なりやすくなった陰湿な世界が重なりやすくなっていることでしょう。
梅雨が明けるまでは「祓い」に専念しようと思った今日この頃でした。
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