『変わりゆく世界秩序』~調和へ向かう混沌世界
世界の常識が変わりゆくのは、天災が起きるのと同じように「避けられない」事象である。
『調和』というのは何かを知らなければ、今の「自然現象」がわからないだろう。
世界が「ナショナリズム」に向かうのは、単なる「自然現象」であり『調和』という姿へと変わりゆく「過程」に過ぎない。
リベラリズムという「同一性」は「調和」ではなく「画一化」であり、在るものを在るべくして在る状態を捻じ曲げて「画一化」させて「平等」であるとする歪み・・・
『調和』とは「個性」が在るべくして在る状態で、「存在調和」する世界である。
神の世は「強烈な個性」が在るべく存在し続ける世界。
混沌とした無数の個性が「在るべくして在る」カオスの世界。
カオスを受け入れられぬ狭き心
それが混沌を混乱させて、排除すればするほどに、「悪」が沸き立つ「自然現象」が起こるだけ。
悪を排除するときに、すでに新たな悪が生まれる。
排除するその行いに、すでに新たな悪が生まれる。
悪でないものを悪とする、それが沸き立つ「悪」というもの。
湧き立つ「悪」が混沌を、混乱の渦へ巻きこんでゆく。
世界は、自然は次元が上がり、神世の在り方に近づく。
ゆえに世界は在るべき姿を取り戻してゆき混沌となる。
在るべき姿を捻じ曲げて、画一化させた個の性(サガ)が、次元の上昇とともに、「個」を主張して在るべく在りゆく。
「在るべく在る」を受け入れるまでは「排除」の「悪」の渦が湧く。
混乱極まり「大難」となる、自然に逆らう大鳴門
カオスを受け入れ『調和』するまで、渦巻き続ける大鳴門
不要なものは何一つない、自然が生み出す命の芽吹き
富士と鳴門の神仕組み、二線を分かつ神仕組み
これだけ現れておるのに、未だに見えぬ近目の人々
放ったものが我へと返る、自然の摂理が生み出す鳴門
排除するから排除されゆく、芽吹いた「悪」に溺れる鳴門
在るべく在るがわからぬ心、掃除洗濯急がれよ
妬んで僻んで羨んで、自分を曲げるその心
貪瞋痴の三毒湧かし、鳴門の渦を湧かせる心
天上天下唯我独尊、在るべく在りゆく自分軸
在るべく在るため在るべき場所へ、自分が歪まぬ在るべき場所へ
在るがまま在れる在るべき場所に、流れ揺蕩う神風の小舟
手放し心身掃除して、神風に乗る大鳴門
自分を曲げれば帆は折れて、鳴門の渦に巻かれゆく
自分の「個」というマストを立てねば、風に乗れない大鳴門
自分を曲げない自分とは? 尊び守る自分とは?
掃除洗濯出来ねばわからぬ、自分を歪めているその手
何を握っているのやら、何を集めているのやら
悪が沸き立つ思いの記憶、握りしめては悪が湧く
在るべき場所に辿り着けぬゆえ、在るべくして在る自分に還れぬ
在るべき場所に辿り着いたら、末代変わらぬ富士(不二)の山
在るべき場所で在るべくして在る、富士のお山に根を下ろし
在るべき場所で在るべくして在る、自分の不二(富士)の花を咲かせる
神人結びの神人一致、意乗り(祈り)の纏り(祭)の十(結び)成る
在るべき場所で在るべくして在る、天上天下唯我独尊
自然の摂理の神世の摂理に、溶け込み重なる惟神
神が具現した化身たる、高天ヶ原の示現神
神は人成り人は神成り、重なる次元を示現する
歪めば歪みを示現する、神重なれば高天ヶ原
富士と鳴門の神仕組み、わかりたならば急がれよ
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