『倭姫』の黄昏




さて・・・・

何から話そうか・・・・・・・・


発端は新月の日に竜宮へ行った時の話から



『竹生島は竜宮の裏門』


すんなり受け入れはしたがやはり『裏門』という言葉にひっかかる。

だから素直に問うてみた。

『表はどこだ?』と・・・・



問いながら「調べる」ということをするわけである。

すると導きが連鎖し現れてくる。


そして『なぜ?』が解ける。





ここで導きに「倭姫」が出てくる。

それが『鍵』となるからだ。



「倭姫」と言えば「伊勢遷宮」が思い出される。

ほとんどの日本人はそうだろう。

倭姫=伊勢

そして伊勢の地にたどり着くまでに辿った奇跡が「元伊勢」と言われる。


その「倭姫」であるが・・・・

『一人ではない』ということだ。


まずは「認知」の修正が必要になる。


「倭姫」は「ヤマトヒメ」ではなく「ワノヒメ」と言う。

これが第一の「認知の歪み」である。

なぜ歪んだのかと言えば「歪ませたかった」からだ。

誰が?

新政権・・・つまり「大化の改新」で王位簒奪をした政権である。


大化の改新という「律令制」を『難波宮』で発令するまで、我が国は「倭国」であった。

「倭」は「ヤマト」ではなく「ワ」である。

これも「認知の歪み」であり「歪ませられた認知」である。



魏志倭人伝という魏国の所に出てくる「卑弥呼」は「倭国」の女王である。

つまり、「倭姫」とは『倭姫王』のことで「倭国の女王」である。


伊勢の遷宮をした「倭姫」も「女王・倭姫王」であったということだ。

そしてそれは「遷都」でもあるということ。



この「倭姫王」は代々九州王朝・・・つまり「西宮(さいぐう)」から継承される。

そして、その出自は「薩摩」である。




大化の改新というのは、「白村江の戦い(唐・新羅連合対倭国・百済連合)」で敗れ、そのため「唐の属国」という扱いになったことから「壬申の乱」が勃発してゆき、倭国は内乱となり政権交代が起こり、九州王朝統治からヤマト王朝へと変わった時・・・である。


「大和」という「当て字」を付けたのは「倭」を「和」にして「大和(だいわ)」という「ワ国継承」をする必要があったからだろう。

当時は「ダイワ」と呼んでいたかもしれない。



その大化の改新の直前まで「倭国王」であった「倭姫王」は、白村江の戦いの後、近江の「大津宮」に遷都していた。

これは「唐・新羅連合」が九州から攻めてくる防衛線を築くという意味合いであったという。

九州が陥落すれば瀬戸内を通って中央へ進軍してくる。

それを難波宮で迎え撃つ。

その難波宮と淀川という川の道で往来を迅速にできるという観点から大津宮遷都に至ったという。


そこが「最後の倭姫王」が居た場所である。


その後、新政権王朝は「王」を『天皇』と呼ぶことにした。

もともと『天皇』という名称は「蘇我氏」が「蘇我の女王」に冠していた名称であったものを踏襲したものだろう。

蘇我氏の女王とは「推古天皇」「持統天皇」といった蘇我の女性王である。




さて、歴史の話はこの辺でいいだろう。



問うているのは「竜宮の裏門」である。

その「竜宮の裏門」を知るためにこれらの歴史を必要があるから学ばされたわけである。



そして「表裏」というのは「陰陽」である。

さらに現世は「型映し」という表裏(陰陽)である。


これらを踏まえて地図を見てみよう。


琵琶湖と竹生島である。

琵琶湖の真ん中あたりにある黄色の星マークは「興津島」

下の方、大津市のところにある黄色の星が「大津宮」である。


さて、これは「なんの陰陽(表裏)か?」


まずは九州

竹生島と「表裏対応」しているのが現在でいう「福岡県朝倉市」

「卑弥呼」の『宮』があった場所(麻氏良布神社)である。

興津島は推定していないが、たぶん「高千穂」あたりかな?

そして「大津宮」は「薩摩(鹿児島)」となる。


これが「表裏(陰陽)」の『映し』である。



ではさらに「表裏(陰陽)」の『映し』を見てみよう。


鹿児島湾に浮かぶ「桜島」

これが「竹生島」の『表(陽)』となる。


「桜島」という名には意味がある。

これが『木花咲弥姫』そして『稚桜姫』へと至るからだ。




今回、裏の「竹生島」から辿ったが、本来は「桜島」の「型映し」を『麻氏良布神社』に映し、その後『琵琶湖』に映したという変遷である。


最後の「倭姫王」は「中大兄皇子(天智天皇)」と婚姻し、『大津宮』に遷都したわけである。

つまり、日本の史実とされるものでは「天智天皇」であるが、その時代は「大津宮の卑弥呼(倭姫)」が『女王』である。



余談ではあるが「近江(おうみ)」というのは「大海人(おうみ)」であり、「湖族」と言われる人々は「淀川」を上り下りして大阪湾から海へ出ていた「海人(うみんちゅ)」である。

その中で有名なのが「神功皇后」の『息長(おきなが)一族』である。

この「息長一族」の発祥となる神が『天津彦根神』であり、ゆえに「彦根」という地名が残る。


余談ではなかったか・・・

その「天津彦根神」の『妻神』が『乙姫命』であり・・・・

神功皇后の「護り(守護神)」が『乙姫命』であったことがよくわかる。




ここで、以前から引っ掛かっていたことがある。

それは「出口王仁三郎氏」が「綾部が竜宮」と言っていたことだ。

綾部を「エルサレム」とも言い、「竜宮」とも言い・・・・


さて、それはいったいどういう意味だろうか?・・・・と。


おそらく「隠語」として語っているのだろうと。

下手なことを言えば「大本大弾圧事件」はもっと悲惨なものとなっていたかもしれない。

それほど「禁忌」に触れるわけであるから。



そこで、先ほどから地図を見ていた流れで、大本教本部の地図を見てみたのだが・・・・



『金竜海』と名付けられた池であり、そこに「竜宮」を模したもののはずである。

これを見て

「あぁ、そういうことね。」

と理解した。




これを90度回転すると「琵琶湖」になる。

そして二つの島

右が「竹生島」

左が「興津島」

池が二つに分かれているのは「大橋」が模されているのだろう。


なるほど・・・「表裏」の『型映し』である。



そして、大本のご神体山である「本宮山」


この位置関係は「琵琶湖」と「伊吹山」の位置関係となる。



これを鹿児島で見ると


『大箆柄岳(おおのがらだけ)』となる。

この山はこの地域の山岳信仰の「本山」となる山である。





さらに大本の「金竜海」の傍らに「木花庵」というのがあるのは『桜島』を示唆する「隠語(陰表現)」ともいえるものだ。


梅の花の開花はやがて訪れる桜の開花の先駆け・・・・・





さて

これでわかったことは「大化の改新」までは「倭国」であったという事実。

そして「倭姫王」が全国を統治していたという事実。

近畿という「中央」も「九州の女王」が、「薩摩の女王」が「統治していた」ということである。

いや、「統治」は「二元性」であり「ヒミコ」と「大物主」の二元体制であり、御子(巫女)の女王と将軍という二大体制が壬申の乱で政変が起こるまで続いていたという事実である。



現代でも「女系天皇」を嫌がる理由はそこにあるだろう。

「血統」を言い訳にしてはいるが、それは単なる「方便」である。

「歴史がめくれる」ことを一番恐れているだろう。



明治維新の後、西郷隆盛が殺され、大久保利通が殺され、「薩摩勢力」が排除されたのも頷ける。




そして・・・・

豊玉姫から続く『ウガヤフキアイズ朝』という倭国は「九州王朝(西宮王朝)」が主となって続いてきたものであるということ。

いや・・・

木花咲弥姫から始まっているといっていいだろう。

それはいわば『竜宮王朝』ということである。




癒奏術・響庵

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