『天の岩戸(第七チャクラ)』が開く時 ~岩戸開きの要 《神人一致の理》




神の「試し」に誠をもって 身・口・意に淀みなく

応えたることが出来れば 天の岩戸は開かれる


神の試しは便所掃除 便所を綺麗にするが『役』

『役』に不満で悪湧き出せば たちまち『厄』となる「試し」



誠とは「溶け入る」ことぞ 最初の「思い」に溶け入ることぞ

だが人は 一番最初の「思い」の上に 蓋をし心を塗り替える


塗り替えた「意」を言葉にし 行動にして「誠」を曲げる

一番最初の「思い」こそ 神の光であるのにな


それに蓋して塗り替えて 天の岩戸は閉じられる

神が閉じているのではなく 人自らが閉じている




天の岩戸(第七チャクラ)が開かねば 地引の岩戸(第一チャクラ)も開かぬ由

天の岩戸を押し開きたら 地引の岩戸は開かれて

高山 低山に上る地祇(クニツガミ) 天神(アマツカミ)の御言待つ

天地の岩戸を開く大祓い 便所掃除の誠のお役




便所掃除も出来ぬのに 大祓いで何祓う?

汚き罪科穢れを祓う 大祓いの神々なるに

汚きものに触れようともせず 岩戸が開ける道理無し


天の叢雲 心の曇り

高山低山の伊穂理 身体の曇り


心身の曇り晴らさねば 天地の岩戸は開かない

天地の岩戸が開かねば 木花咲耶(五つのチャクラ)は開かない




一番最初に湧く思い 【神の意】は何をさせるかわからない

その「わからない」に応える準備 整うたれば【神意】は降りる

神意降ろしても誠無く 「役」出来ぬうちは神遠し

「何でもやれる」に磨くのが 御魂磨きというものぞ

便所掃除も出来ぬのに どうしてお役が勤まるか?

与えた「役」を「厄」とする 曇り心に岩戸は開かぬ




神の「意」が 「身」に現れ 惟神

間の「口」が真言か魔言か 「魔言」なるから岩戸が開かぬ


神意の光は「石火の機」 その一瞬の光明を

余さず身に写し「行う」 神の「お役」を勤むる三密


岩戸開きて木の花咲かせ 神の光を身に宿す

天地一体 心身一体


心と身体に纏うた曇り 魔言の叢雲 魔事の穢れ

自分の心に湧きたつ叢雲 祓い浄める便所掃除


他者の穢れを「無心」に祓う 御魂磨きの便所掃除

穢れに触れども 心身は清し 内なる穢れはあるまじき




清滝の如き神意の光 流れ続ける神人の

曇り穢れなき身霊の御魂 岩戸開きて木の花が咲く

晴れわたる空に富士の山 雲のかからぬ晴天の蒼

流れる言葉は五十鈴川 神の玉響 宿した響き




一番最初に湧く思い 神の光を行うが

掃除洗濯 御魂磨き

便所掃除の「無心」こそ 岩戸を開く要也





癒奏術・響庵

心と身体と魂を癒す・・・それが「癒奏術」 肉体から霊体へ、霊体から神体へと手が届く唯一の施術です

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