『醜悪なる善意』~世界を穢す善意




善悪の判断すら「自分」で出来ない人というのは、「醜悪なる善意」で人を傷つける。

精神的に、肉体的に、環境的に、社会的に・・・・


だが実のところ「判断」は出来ている。

人の精神に確と存在する「良心」は、的確に答えを提供している。

だが、それを『選択』しない。


「良心に従うと損をする」

そこで様々な「言い訳」となる理屈を考える。

「良心」を『選ばない』ことの言い訳の理屈を『選択』する。

「良心」の仮面を被せられる屁理屈で、自らは『善意』であると・・・・


この「醜悪なる善意」は人をも殺す。

殺して尚、善人の仮面を被り続ける。




2021年以来、人々は「醜悪なる善意」によって毒された。

多くの人々が未だその中にある。


「ワクチンを接種する」というカテゴライズされた「醜悪なる善意」の「所属」に寄り付き、未だその醜悪なる痴態を晒し続ける人々・・・・


その「醜悪なる善意」がどれだけの人々を殺したか?

どれだけの人々に迷惑を与え続けているか?



自分で判断できない、自分の選択に責任を持てない、自分の「良心」に蓋をした人々の「醜悪なる善意」が、社会の様々な場所に滲み出し、それが当たり前になろうとしつつある中で、「良心」は確実に『疼いている』にもかかわらず、それを無視し続けるもまた「醜悪」である。





世間の、社会の「醜悪」なる汚物を引き受けているのは、『社会的弱者』と蔑まれて呼ばれている人々である。

病気を抱えていたり、障害を抱えていたり、老人や子供や・・・とにかく「弱い」方へと醜悪さを引き受けさせて行く。

そして、「醜悪」なる言葉を引き受け、行為を引き受け、善意の裏に隠された醜悪さも引き受け・・・



だがそれも許容範囲をはるかに超え、あちこちで染み出し滲み出して溢れている。


「誰かのため」「社会のため」「正義のため」と宣い、『むき出しの悪意』を吐き出してゆく。

心の中に溜まった『醜悪なる汚物』の投げつけ合いをしている。






10月から始まった「レプリコン」の影響は、恐らく目に見えない形で広がっている。

レプリコンワクチンによるシェディングは「未接種者」よりも「接種者」を『ブースト』すると言われている。

おそらく「mRNA」によって改変されたDNAが刺激されやすい・・・ということなのかもしれない。


人が溜まる場所では再び「シェディング」が強烈になってきている。




私はシェディングを人一倍感じやすい体質である。

それは「静電体質」であるため、伝播する様々なモノを「引き受けやすい体質」ということである。


今まで何百人もの人を施術してきてわかった事であり、「引き受けやすい体質」の人からも「引き受ける」ほどのものである。


「引き受けやすい体質」の人というのは、施術などしてもらうと、かえって「施術者」の悪いものを「引き受けて」しまい、結果、施術で楽にするはずの「施術者」のほうが楽になり、お客さんで来たはずの人が「施術者」の疲れを「引き受けてしまう」・・・・ということになったりする。


だから自分が施術をしてもらうと、様々なモノを逆に「引き受けて」しまうことになる。

施術中の気の迷いやモヤモヤした心まで、手に取るようにわかる。



「施術」というものは様々なものを引き受ける。

伝播するものであったり、不調の「響き(波長)」であったり、悪意のエネルギーであったり、モヤモヤした思いであったり・・・・様々なモノを引き受ける。

そして、「引き受ける」から「知れる」のである。


また、5年ほど前からは「霊的」なモノも引き受けるようになり、「引き受け体質」は上がる一方である。


そして、2021年からは人が発する『スパイクタンパク』をモロに引き受けたわけで、だから体調不良に苛まれた。




だからこそ社会の中に流れる「醜悪」というものがよく見える。


弱者を「救う」という善意で自己の良心の呵責を相殺するための「汚物」を引き受けてもらっているだけの醜悪なる人というものは、けっして改心することなくこれからも同じことを続けてゆくだろう。

自分たちの方が『救われて』いるのだという事実に気付かないまま・・・・



「引き寄せの法則」などと宣い、結局は「汚物」を誰かに引き取ってもらうだけの「言い訳の法則」に過ぎないもので武装し、自分はけっして「引き受ける」者にはならないという宣言でもしているのだろうか。


社会を真から「掃除」しているのは「引き受ける者」であって、都合のいいことだけ引き寄せて、都合の悪いことは誰かに引き受けてもらうという「醜悪」さは、近づく人に「引き受けさせる」ばかりの「引き寄せという醜悪なる法則」である。


それは「引き受けさせている」ということに気付けない・・・というより「気付かないふり」をしているに等しいのである。


そしてそういう者たちは「蔦草」のように人に纏わりつく。

「引き寄せ」と言いながら、あちこちに纏わり着いて枝葉を拡げ、蜘蛛の糸のように粘着する。


美麗な言葉の裏側に、飢えと排泄物を隠して・・・・




そんな様々な「醜悪なる善意」の汚物が社会を腐らせているのである。


堕天使が吹く『醜悪なる善意の犬笛』が導く先にあるものは・・・・・・・






五十黙示録 五葉之巻 第五帖

もの与へること中々ぢゃ、心してよきに与へねばならんぞ。与へることは頂くことと知らしてあろうが、与へさせて頂く感謝の心がなくてはならん、強く押すと強く、弱く押すと弱くハネ返ってくるぞ。自分のものと言ふもの何一つもないぞ、この事判れば新しき一つの道がわかるぞ。



ひふみ神示 磐戸(一八十)の巻 第十八帖

今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、時節到来して、天晴 世に出て来たのざぞ、因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。

改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、神の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ。

この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、其の時ではもう間に合はんから くどう気付けてゐるのざぞ。臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。

悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になってゐるのざから、マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐるのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、神の臣民はづかしない様にして呉れよ、臣民はづかしことは、神はづかしのざぞ。愈々善と悪のかわりめであるから、悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。






癒奏術・響庵

心と身体と魂を癒す・・・それが「癒奏術」 肉体から霊体へ、霊体から神体へと手が届く唯一の施術です

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