『フトマニ』 ~言葉を教える始まりの教書
かつて世界の人間は「言葉」を知らなかった。
そんな中、「言葉」を扱う人々が居た。
言葉を知らない者たちに、言葉を教える・・・
それは根気のいる作業だったろう。
言葉を話す「発音」などから教えていかなければならない。
それを教えるには「発音」というものがどのようなものかということを理解していなければ、「発音」から「言葉」までを教えることなど出来ない。
さらにその先に「文字」を教える・・・・
受け手によってそれは「差異」が出るだろう。
どんな発音ならしゃべることが出来るようになるか?
どんな単語なら無理なく浸透してゆくのか?
どんな文字なら理解へと至れるのか?
受け手それぞれの特性を踏まえて教え導いていったことだろう。
『フトマニ』は言葉を教える元となる教材であるようだ。
もちろん現代の感覚から見ればそうは思えないだろう。
だがそれは、言葉を「既に知っている」ものの見方・・・・
「言葉」という概念すらない人々に、現代のような理路整然と整えられた教書では「理解」へと至らないだろう。
言葉という「発音」を教えるということは、それまで「右脳主体」であった人々に、「左脳」による「論理の種」を植えて芽が出るように育てなければならない。
その時の人はあくまでも「右脳」の「感覚」が主体なのであるから、教えも「右脳的」「感覚的」でなければ「覚える」ことなど出来ない。
フトマニの真ん中にある「アワ」の道
「ア」と「ワ」の間に「ウ」があるよと、「発音」を「音」で教え「目」に教える。
言葉を話す「発音」の原点となるフトマニの「アワ」
そうして生まれた文字の変遷のひとつが「AWA」
発音の「理」がわかる文字
理解の順番は「AWA」が理解出来れば「アワ」へと進むのが自然の順序。
「AWA」がわかれば「AKA」も「ASA」も「ANA」も「同じ理」であるからすんなりわかり、「アカ」「アサ」「アナ」へと進んで行ける。
言葉をどんどん覚えて行けば、左の脳が磨かれる。
思いを伝え、出来事を伝え、自分の中に「言葉」によって様々なものが「創造」されはじめる。
「言葉は神」となる瞬間である。
見た映像、聞いた音、嗅いだ香り、味わい、触れた感覚・・・・
様々なモノに名が与えられ言葉となり、世界の見え方がどんどん変わってゆく・・・・
それはまさに「世界が創造されゆく」のを見るようなものだろう。
「言葉は創造神」となる。
言葉を知り、言葉を扱い、言葉によって様々なモノが生まれた世界で、『言葉は絶対神』となる。
言葉を教えられ発展した世界は『月の世界』
あくまでも「左脳」に与えられ照らされた「光」である。
だが、言葉を最初に「教えた」人々は、「言葉」を『生み出す』人々・・・
だから世界の姿が少し違う。
同じものを見ても違うのである。
直接見る光と、水面に映る光では違うのである。
日ノ本の言葉と外国の言葉の違いは
「太陽」と「月」
太陽の光が届く距離と、月の光が届く距離は違う。
それは「言葉の歩幅」が違う。
月の光では「一歩」は限られるが、太陽の光は限りなく「一歩」を伸ばせる。
それは思考に表れて、だから行動も帰結も違う。
「望み方」が違い、「進み方」が違い、だから目的地が違う。
そんな太陽が、月に呑まれんとしている。
呑み込めるはずもなく、だから少しずつ蝕むように呑み込んでいる。
だが結局は呑み込めない。
太陽が無くなれば月は光を失うのである。
フトマニは「太陽」のごとき広がりゆく「言葉」の教書
その最初の「アワ」の道
道は理(ことわり)
月は太陽を飲み込んでゆくが、呑み込んだと思った時、月は太陽へと「反転」する。
月明かりから「太陽の所在」を探す旅はそこで終わる。
月明かりから太陽の所在を「探すように」紡いできた「言葉の在り方」も終わる。
「ドラゴン」の羽根は消えて「龍」となり
「天使」の羽根は消えて「天人」となり
「神」の羽根は消えて「太神」となり
神の「教え(経典)」は消えて「道」となる
言葉は
言葉だけに留まらず
言となり
琴となり
事となり
異へと変遷し
殊が生まれ
新たな理(こと)へと進化する
九十(こと)は百千萬(ももちよろず)と弥栄えて
響きが言となり、香りが言となり、光が言となりゆく
ひふみよいむなやこともちろらね と弥栄える
ひふみうた 数を教える 数え歌
足し算 引き算 掛け算 割り算
数叉成る(スサナル)理(みち)の教え詩
十(じゅう)の理(ことわり) 十(結び)の理 十重に弥栄う数の道
平面世界から立体へ 上に重なる陽の理(みち) 下に重なる陰の理(みち)
いろはにほへと(色は匂へと) ちりぬるを(散りぬるを)
色と匂いが重なりて 言葉弥栄う いろは道
味も重なり 音も重なり 熱冷え重なり 剛柔重なり
立立体から立立立体 言を生み出す五十鈴川
アイウエオ アヤワ 無限に弥栄う 五十鈴川
月夜の世界の終わりの時は 最も暗き黎明の時
明けの明星輝きて 朝日間近を知らせる光
緋色に燃ゆる 東の空は 黄昏時に近き色
星の瞬き 月明かり 消えゆく空は 名残惜し
朝日にかき消される光 祇園精舎の鐘の音
無常に消えゆく栄光は ただただ小さき光の写し
キリスト ブッダ エホバ アラー
日ノ本の神の光も消えゆく
されどそれらは月明かり
色とりどりの星明かり
明かりの大元 日の出とともに
「同じ光」を映していたと
知りて救われゆくだろう
誠の光 偽りの光 夜明け来たれば 有無の水分(みくまり)
・(日の出)来たれば 〇(月)正されて ⦿(誠の神の道)となる
よのうきめ みえぬやまぢへ いらむには おもふひとこそ ほだしなりけれ
ー物部良名
消えゆく光 消えゆく神々 消えゆく人の信仰心
夜明けを知らせる東の空が 白み始めた証なり
消えゆく明かりに 思いを残し 恐れ悲しみ 絆(ほだ)しなりけれ
されど 失われゆく絆(きずな)の先に 誠の光の主がある
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 酔ひもせず
消えゆく光に思いを馳せる 黄昏時に似た朝焼けに
思いを残すことなかれ 思いの奥山 超えてゆかれよ
とりなくこゑす ゆめさませ みよあけわたる ひんかしを
そらいろはえて おきつへに ほふねむれゐぬ もやのうち
ー鳥啼歌(とりなくうた)
目覚めて誠の 空を見よ 朝霧煙る 海原に
船を漕ぎ出し 帆を張りて 神風に乗る 時来たり
空は晴れたり日本晴れ 九(木)の花咲きて 九十(言)開く
十(結)んで栄える 十重二十重 百千萬と数叉成る御言
色 音 匂い 味 肌触り 五十鈴の響きで言の機織る
夜明けの始め フトマニの アワ道照らす あなさやけ
終わりの🌀は 始まりの🌀 死して生まれる🌀(宇迦)の魂
大蛇の尻尾は龍の髭 草薙劔の鋼の御魂
この世にあるもの あの世にもある ゆえに三界共和する
この世に無かりし 道なれば あの世にも無き 道理なり
この世に「実」を現わせぬもの 神の世界にもあるまじき
神世をこの世に「実」と現わす 神人一致のお役目は
人のお役に立たぬもの 神の役にも立たぬぞよ
人のお厄となるものは 神の厄ともなるものぞ
「実」がなければならぬ道 ・(誠)を据えた〇(実)の道
⦿(誠実)なりたる道の理(ことわり) アワから始まる神の道
月神でなく 星神でなく 日の神が柱 真ん中の柱
天地照らす皇める大神 三千世界 あまねく照らす
三千世界 実の道 違うことなく ⦿道
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