【混沌(カオス)】~次元上昇した「神霊界」の現出




カオスの到来


世界は混沌としたカオスへと入った。

それは、ありのままの霊界の姿であり、神の世界の姿そのものである。


混沌とは何か?


それは「垣根」の無い、「壁」の無い、つまりは「自他を隔てる境界」というものがない世界である。 

それが「真の平等」の世界というものの姿。



 地上はようやく次元が上がり、神の世界へと近づいた。

だからこそ「混沌」とするのだ。


地上のように「何かに守られるように囲われている」などという、人が考える「安全地帯」などない。

それは「神界」「霊界」に触れているものなら『当然のこと』として分かること。


「神界」という地球などより遥かに広大無限の世界で、3次元のように「何かで囲う」などというものも無ければ概念すらない。



そんな無限世界で「区」を分つものは、中心に、根っこにある「自分」を決定づける「意」しかない。

その「根っこの意」が「引き寄せ合う」から「集合体」が生まれ、その集合体の波長がそれぞれ「国」や「集落」のようになり、無限世界の中で「三千世界」を形成している。


「引き寄せの法則」などと言われていることは、正しくはあるが「見方」を歪められているから「意味が変わる」わけである。




何度も言うか「垣根」などない。

そこに居る者の心の「根っこ」の変質で、他へと流れて行くのであり、そね変質した「根っこ」に近しい場所へと移って行くのである。



その「根っこ」の意思が常に変質し続ける人はどうなるか?

霊界を転々と彷徨う「根無し草」となる。


だから「蛭子(ヒルコ)」というのである。



直系の霊統の高位の霊が、なんとか引き上げようとしている。

しかし一向に気付かず、気付いたとしても「別の方」ばかりを見ているから、その者の霊は「別の場所」へと流れていく。


その肉体に重なっている「あなた」という「霊」は、すでにどこかの霊世界の国や集落に「帰属」しているのである。

隣りにいる人と「同じ」ではないんだよ。


だから「離れて行く」という現象が今も起こり続けているだろう?

それが「次元上昇」というものが起こっている現れである。




次元が上昇すればどうなるか?


「カオス」である。


天国と思っているところも、地獄と思っているところも、「次元上昇」した世界にある。

勝手に「上が善」「下が悪」などと決めつけているだけ。


それが「バカの壁」である。



すでに肉体と一体となっている魂、霊は、すでにその「所属」を露わにしている。

それが今後、どんどん色濃く露わとなってくる。


その時初めて「地獄のような根っこの人」が『いかに多いか』ということを目の当たりにすることになる。





神界が乱れたのはただ一つ。

『惟神』の道を外したからである。


縦糸の最奥に坐す『大元神』への『惟神(かんながら)』を、途中の神々が「外した」からである。


『惟神』というものは、いつ何時でも「神と共に在る」状態であり、それを「意識」せずとも「在る」ということ。

「意識」するのは『神惟(かみながら)』である。


神々は一生懸命「神惟」を修して取り戻し、ようやくに元の「高天ヶ原」の状態を取り戻した。


「高天ヶ原」とは『三千世界の中心』であり『軸』であり『根っこ』となるべきもの。

その「軸」が失われれば「三千世界」は『飛散』していただろう。


太陽が無くなれば、周回している惑星が飛散するのと同じこと。

「高天ヶ原」とはそういう場所である。




前回、示した「惟神の大道」は、三千世界の中でも「神界」の段階、順序である。


だが人は、一番下の『神照(かもながら)』さえままならぬ。

誠(真言)を糺す神照(かもながら)


誠とは「軸」であり「根」であり、そこに「神」があることを照らし見ること。


だが人は「軸」よりも「側」ばかりを見ている。

「壁」を立て、壁を彩り、「軸」を隠す。

それを「バカの壁」と呼ぶのだ。


どんなに壁を彩ったところで、「軸」で「居場所が決まる」のが『次元上昇した世界』である。



そして、この世でも「軸」で居場所が決まる。

この6~7年ずっと同じことを言っているのだが・・・・

「バカの壁」を立てているから見えず聞こえず・・・なのだ。





この6~7年ほどの間

「癒奏術」という施術の中で、今まで多くの人を見てきた。


神に愛されている人

神に愛されていたのに道を外す人

外れたままの人

外れたところから努力して登ってくる人

一向に定まらぬ人



せっかく「引き上げてくれる手」を繋げても、すぐに離して「蛭子」のように彷徨いだす人も多い。


「守護」という「救いの手」を差し伸べている霊人が、どれほど努力していることか・・・

今この時「肉体」があるということがどれほど救いであるのかも知らずに・・・


霊界では「一度離れてしまえば再び巡り合うのは難しい」のである。

だが、肉体があれば、物質次元であればそれが出来るから、わざわざ『縁』を頼りに「巡り合わせようと」してくれているのである。


だが、次元上昇とともに「霊界の理(ことわり)」が色濃くなり、縁はどんどん結びにくくなっている。

それは「霊の帰属」が色濃く現れだしているからに他ならない。


そして・・・

「蛭子」となっている「定まらぬ者」が非常に多いのである。





心の根っこに「戦う」「争う」心があるから現出しているのである。

「餓鬼」のように「畜生」のように現れているのも「心のまま」

それが「次元上昇」というもの。




せっかくの『縦糸』が切れてしまう前に・・・

「蜘蛛の糸」の『カンダタ』のようにならぬように・・・




自分の心の真ん中にある「神」の部分を照らし(神照・かもながら)

その「思い」に寄り添う(神添・かめながら)

そして

神を頼れ

神を頼るは「手縁る」こと

神を救うが救われる道

神救(かむながら)である。


神を救うとは神の手となること

手縁れば結ばれ「神惟(かみながら)」へと道が開ける。


縦糸を昇れ

差し伸べられるその手を手縁れ





この稿を竹内睦泰さんに捧ぐ・・・




癒奏術・響庵

心と身体と魂を癒す・・・それが「癒奏術」 肉体から霊体へ、霊体から神体へと手が届く唯一の施術です

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