【トランスフォーム】~次元上昇した世界線
富士は晴れたり日本晴れ
さて、あなたは今自分がどちらに居るかお分かりだろうか?
確信があるだろうか?
根拠は?
本当に?
次元上昇しトランスフォームした世界線が「未来」へと続いている。
そして、上昇しないままの世界線は途切れている。
同じ空間内に別の世界線
これが「次元が重なる」ということだ。
今まで何度も何度も何度も語ってきた未来が目の前に現出している。
ひふみ神示でも何度も言われている
富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。煎り豆 花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組ぞ。
一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事 間違へるでないぞ。此の道 難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。今が神国の初めぞ、今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。
今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ。人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ
未来はもはや「縦横」に進む。
横だけしか見ていなければ、新たな世界線の下・・・
多くの者が「古い世界線」の上で未来を見ているから「何が起こっているのか」わからない。
「新たな世界線」の先に未来は続いている。
「借銭済まし」が出来た者から、新たな世界線の未来となる。
ーその時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞー
日本の「お土」は次元が上昇した世界線にある。
今、現出している世界の変化は「借銭済まし」の『審判』が示現してきている。
神は「心」を余すことなく観て知っている。
だから心相応の「次元の世界線」に立つこととなる。
天照らします大神は、確と人の心の中を「照らして」つぶさに観ている。
誰が見ていなくとも「お天道様」が見ているのである。
一升桝には一升しか入らぬと臣民思ふてゐるが、豆一升入れて粟(あわ)入れる事出来るのざぞ。その上に水ならばまだはいるのざぞ。神ならばその上にまだ幾らでもはいるのざぞ。神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。今度は千人力与へると申してあろが。江戸の仕組 世の終わりぞ。天おろがめよ。つちおろがめよ。まつはれよ。秋の空グレンと申してあろがな。冬も春も夏も気つけてくれよ。
自分という「器」の中にいくらでも「神」は入る。
入れ替わり立ち替わり「器」となった人に入る。
「借銭済まし」して「掃除洗濯」出来ていなければ「神懸かる」ことは出来ない。
ー今度上下揃ふて夫婦和して、天と地と御三体まつりてあななひて、末代の生きた教と光り輝くのざぞ。ー
神人一致は上下夫婦和合
それが「まつり」
神と人が「まつろう」まつり
そして、さらなる次元へ上昇する。
今の次元上昇(トランスフォーム)より、まだ一段二段と上がってゆく。
天狗になれば即落ちる。
そんな世界の現出である。
「縦」の転化が理解出来ねば、やがて途切れる世界線のまま。
はやく改心なされませ
五十黙示録 扶桑之巻 第十五帖
百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんときぞ。
天のことは今迄は人民には判らなかったのであるぞ、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのぞ、今迄の人民であってはならん、地そのものが変ってゐるのであるぞ、人民は我(ガ)が強いから一番おくれてゐるのであるぞ、人民の中では宗教人が一等おくれてゐるぞ、神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんのぢゃ、天地がアメツチとなってきてゐるからぞ、天も近うなるぞ、地も近うなるぞと気つけてありたのに目さめた人民少ないぞ、今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民たちよ、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。
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