世界を謀(たばか)る日ノ本に巣食う悪神 《霊界探訪》
神武天皇より日本という「ヤマト」は2600年もの歴史がある。
・・・という「認知の箱庭」を世界に「認知」させるため、「歴史」は所々で「認知の歪み」が『作られて』いる。
なぜこのような「認知の箱庭」が作られているのか?
それは「世界の席次」というものを見ればよくわかる。
世界中の王侯貴族が一堂に会する時、席次は常に「歴史が古い順番」となる。
つまり「2600年の歴史」を持つ日本の天皇家が「第一番」となり、その次が「2000年の歴史」を持つ「キリスト教教皇」となる。
だから「2600年の歴史」を補完するべく「認知」されるように「箱庭」が作られているというわけである。
だが、実際は「神武天皇」が『建国した』という「国」は、飛鳥地方(奈良・橿原)の一地域である。
「国」と言っても「上野国」「土佐国」「武蔵国」といった「国」である。
時代は「ウガヤフキアエズ朝」という「ヤマト王権」であり、「ヤマト」という「日ノ本」にはいくつもの「小国」が「一つの皇(スメラ)」を中心にして「調和」していた。
ゆえに「ヤマト(大和)」と言う。
そんな「ヤマト」にあった小国の一つが「明日香」であり、そこが「神武」という王が建国し、治める地域であった。
やがてその小国の王の一族は「ヤマト」の中心となるのだが、それが「成った」のは『大化の改新』と言われる時である。
つまりは「1400年ほどの歴史」ということになる。
だがその事実を「神武天皇建国」とするために、「記紀(古事記・日本書紀)」という新たな『神話』を作り、かねてよりあった「神話」を『上書き』していった。
神話を上書きするために、神話を有する一族を滅ぼし、記録と記憶を「上書き」していったわけである。
例えば、第二次大戦後、日本の様々な書籍が「焚書」されたのと同じことである。
「認知」を「上書き」することで「歴史改ざん」するのは今も昔も同じである。
そのため、聖徳太子は「物部守屋」という「ホツマツタヱ」を有する一族を滅ぼし、新たな「認知」の歴史を「上書き」してゆく。
だが、「魏志倭人伝」という記録書に「倭(ヤマト)」の『女王・ヒミコ』の記録が残ってしまっていた。
そこには「邪馬台(ヤマト)」という「字」をもって「ヤマト」と表現されていたものを、「邪馬台国(ヤマタイコク)」という学者の言葉で「認知」をズラされた。
そして「邪馬台(ヤマタイ)国は何処にあった?」という言葉を添えることで、「視点」をズラせて更に「認知」を歪めたわけである。
魏志倭人伝の時代は、日本で言えば「ヤマトタケル」の時代である。
「小碓(オウス)」という少年が「川上武(カワカミタケル)」という「物部(モノベ)の長」を暗殺し、「タケル」の『称号』を奪い取り、自ら「タケル」を名乗った。
「タケル」という『称号』は「物部の長(おさ)」
つまり「大物主」の『称号』である。
「物部(モノベ)」とは「武士(モノノフ)」の語源である。
つまりは「武士の長」であり「大将軍」ということである。
「ウガヤフキアエズ朝」というのは「女系男権」の統治の時代であり、「ヒミコ(日皇女)」という神の御言を降ろす巫女(皇女)を中心とし、統治権力としての「物部」という「武家」が日ノ本の数々の小国を「調和」させる・・・という時代である。
それは「豊玉・玉依姫」から続く「女系男権」の統治時代である。
その「女系男権」から「男系男権」へと変わったのが「大化の改新」であり、「神武天皇」という「男系」へと『塗り替えられた』ということである。
聖徳太子は「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」と言われていた。
これは「キリスト教」を彷彿とさせる。
だが、当時の認識では「キリスト教」は「ウガヤフキアエズ朝」の『型写し』であることは「当然の認識」であった。
「聖母マリア」とは「玉依姫」の『型写し』であり、聖母マリアの「処女懐妊」は「玉依姫の丹塗り矢の懐妊」の型を写したものである。
そしてキリスト自身は「大物主」の「型写し」であり、だから彼は自らを「王である」と述べた。
その「厩戸皇子」が何故か「ウガヤフキアエズ朝」を『滅ぼした』のである。
自ら「厩戸皇子」という「キリスト」を写した名乗りをしておいて、キリスト教の元である「ウガヤフキアエズ朝」を滅ぼすという・・・・矛盾を行った。
つまりは「厩戸皇子」というのは「認知」を歪めるための「詐称」であり、そのように「名乗る」ことで「まさかウガヤフキアエズ朝を滅ぼす」などとは思わないだろう。
だが、「だまし討ち」は「ヤマトタケル」も行っているわけである。
常套手段なのだろう。
彼は「物部」のみならず「蘇我」も滅ぼした。
なぜなら「蘇我氏」も「女系男権」を旨とする一族だからである。
天皇家の系譜の中に「女性天皇」が居るが、それらは「蘇我氏」の「女王」である。
この「大化の改新」の時、一人の「修験者」が現れた。
「修験の開祖」とされる「役の小角(えんのおづぬ)」である。
彼は「賀茂家」の人であり、いわゆる「賀茂神社」で祀られている「玉依姫」を見ればわかる通り「ウガヤフキアエズ朝」を系統する一族である。
同じく「賀茂神社」で祀られる「事代主」は「初代大物主」である「大己貴命(おおなむちのみこと)」の後に「大物主」となった「二代目大物主」である。
その彼が「大化の改新」を進める「藤原不比等」に徹底的に抗っていた。
「役の小角」には一人の弟子が居た。
名を「韓国広足(からくに の ひろたり)」という。
また「物部韓国(もののべのからくに)」ともいう。
彼は「小角」を修験道の「師」としていたが、「小角」を裏切り「大化の改新」を進める藤原氏側に「小角」を売った人物である。
彼の裏切りによって「小角」は捕らえられて「流刑」となった。
後、韓国広足は朝廷に「道教の呪術師」として様々な「禁呪」をもって仕えたとされている。
さて・・・・
2000年の歴史を持つキリスト教であるが、「ウガヤフキアエズ朝の型写し」にしては肝心なところが歪んでいる。
キリスト教は「イエス・キリスト」が中心である。
しかし、本来ならば「聖母マリア」が中心でなければならない。
キリストの弟子たちはキリストにそれを教えられていたはずである。
だが歪んだ。
歪まなければ「広まらなかった」のであろう。
外国では「女系男権」は受け入れられない。
世界は「男系男権」というふうになっている。
そんな中で「女系男権」という「型」は受け入れられないのであろう。
そして日本でも「大化の改新」以降「男系男権」の統治構造となった。
そして、ウガヤフキアエズ朝の型写しでありながら、男系男権の型と変わった「キリスト教」がこの国にも流れてきた。
だが、歪みを解けばそれは「賀茂」そのものである。
「玉依姫=聖母マリア」
「事代主=キリスト」
その『型』の「在り方」が「天地逆さ」になっているわけである。
「鏡」に映したから「左右逆」になった・・・とも言えよう。
聖徳太子が「厩戸皇子」を名乗って『謀った』のはそういう背景があるからである。
玉依姫の「ウガヤフキアエズ朝」の始まりは「豊玉姫」である。
ウガヤフキアエズ朝は「豊玉姫」から始まり、それを受け継ぐ日ノ皇女を「玉依姫」とする。
「ウガヤフキアエズ命」を「丹塗り矢」として「型を宿す(ウガヤフキアエズ朝を継承する)」のが「玉依姫」である。
この「型の継承」を「神話」では「玉依姫が神の御子を宿した」となっているから「聖母マリアの処女懐妊」となり、そこから「キリスト誕生」という話になっている。
外国人の「認知」の限界がそこに垣間見える。
日ノ本の歴史(神話)では「伊邪那岐命」と「伊邪那美命」が分かたれた時から「片親(型親)」なのである。
だがキリスト教にそこまでの認識はない。
キリストに教えを授けたヨハネ自身、そこまでの認識は知らなかったのか、教えられなかったのか・・・・
恐らく「日本語」で「日本神話」を教えたなら「天地逆さ」になることはなかっただろう。
だが「言語形態」がそもそも「天地逆さ」なのであるから、「認知」も「天地逆さ」に「映って」しまうということだろう。
そして「キリストが神の子」という「歪み」のまま広まってしまったわけである。
話を「魏志倭人伝」に戻そう。
そこに出てくる「ヒミコ」とは「豊姫」である。
それは「豊玉姫」の御子を「受け継ぐ」という「豊受」であり、「玉依姫」の『型写し』である。
ヒミコは代々「豊姫」ということである。
そして、「魏志倭人伝」に記された「ヒミコ」の息子が「カワカミタケル」
「ヤマトタケル(小碓)」に暗殺された人物である。
キリスト教に倣えば「カワカミタケル」は「キリスト」ということになるが、実際は「大物主(大将軍)」である。
その「大将軍」を暗殺して「将軍」の「称号」である『タケル』を自分のものにして「小碓」は「ヤマトタケル」と名乗った。
つまりは「大和の大将軍」であると自称したのである。
そして、「大将軍」であるとして日本各地の国々を滅ぼし、軍事力によって「平定」していった。
だがヤマトタケルの時代ではそれは達成できなかった。
その後、神功皇后が現れる。
「カワカミタケル」を暗殺され、神武国側に徹底抗戦していた「隼人(薩摩)」
仲哀天皇は「隼人」に難儀していたが、その途上で亡くなった。
そうして表に現れたのが皇后であった「神功皇后」こと「息長帯比売(おきながたらしひめ)」
「三韓征伐」と称して「半島」にあった「日本府(総督府)」を解除し、日本が三韓の「宗主国」であることを解除した。
「三韓征伐」という「言葉」そのものが「認知」を歪めるための「視点ズラし」である。
要は「半島」から援助を受けるため、もしくは「敵対」するものを減らすために赴いた・・・・というのが事実であろう。
彼女は自身の行動に「トヨ姫」を随行させたりしている。
「台与(トヨ)」として史実に現れてくるその姫は、「魏志倭人伝」に出てくる「ヒミコ」の系譜であり「子孫」
それを随行させていたということは、「自身はヒミコの保護者である」という意思表示なのだろう。
織田信長が足利将軍を保護していたのと同じことであり「大義名分」である。
つまりは「大義名分」がまだ必要であり、そしてそれが「大義名分」となっていた・・・という事実の裏返しである。
それはつまり「時代はまだウガヤフキアエズ朝」であったということに他ならない。
そして「ウガヤフキアエズ朝の継承者である」という意思表示なのである。
「ヒミコ」も「トヨ姫」も称号である。
そして「タケル」も「大物主」も称号である。
だがキリストは「称号」とはならず「人物」とされ、聖母マリアも「称号」ではなく「人物」とされた。
ちゃんと「二代目マリア」も居たのに・・・・である。
つまりは「二代目、三代目キリスト」が居ても問題はなく、「称号」を「人物」と特定したキリスト教に於いてそれは認められていなくとも、「称号」を受け継ぐものがあって当然である。
だから日本に「キリストの墓」があっても不思議はなく、「厩戸皇子」を称した「聖徳太子」も「称号継承」したものであるとも言える。
だが、厩戸皇子は「マリア」という「聖母」の継承はしなかった。
それは非常に「外国的(キリスト教的)」な「キリスト」であり、「ウガヤフキアエズ」の「型写し」の否定ともとれる。
本来、「マリア」という「宣託者」が中心となり、「キリスト」は統治権者である。
マリアの御言でキリストが統治するというのが本来の在り方である。
だが「キリスト」の言葉が「神の御言」となり、女系男権であったものが「系」も「権」も「キリスト」のものとなった「キリスト教」
聖母マリアは「神の子キリスト」を産んで「役目を終わらせられた」のである。
そんなキリスト教は「何を」望んだのか?
王家による権力一極集中に対して「神の宣託者」といういわば『玉依姫』の役割を担う存在として「キリスト教」は広まっている。
「教会」という「神の代理人」を「信仰」するということを「統治」に組み込んだ。
つまりは「型」そのものは「死んではいない」ということ。
歪んではいるが死んではいない状態・・・・
だが、しょせんは「教会」も「王家」も「一極集中」を旨とする者同士が「調和」することはなく、やがて「権力争い」となっていった。
日本の天皇家を除けばすべての「王家」の席次は「教皇」の下である。
天皇家が「キリスト教」にとってどれほど「目の上のたんこぶ」なのかわかるだろう。
だがしかし、キリスト教も日本の統治機構の一部に他ならない。
ウガヤフキアエズ朝の歪んだ変形した姿であることを知らずに、天皇家を排除しようとしても、排除した先にあるのは自分たちの「祖先」であり『型親』なのである。
つまりは「天の岩戸閉め」以降の「伊邪那岐命」からの「型親(片親)」の「枝葉」であるということに他ならない。
キリストという「神の子」を産んだ「聖母マリア」が身ごもったのは「ウガヤフキアエズ命」の御子である・・・という「型写し」の事実である。
先に「修験道」という「道教」の開祖が「役小角」であると言ったが、その後、「佐伯真魚(さえきのまお)」という道教の、いわゆる「伯家(はっけ)」の人物が現れ、唐国に渡り「密教」の系統を譲り受けて帰還し、後に「空海」と名乗る人物が現れた。
彼が行ったのは「道教」と「仏教」の「習合」である。
大化の改新以降「仏教」による「習合」が行われた中での一貫である。
仏教は「神仏習合」することで独自の進化をしていった。
元来、日本人の中にある「神」に「仏教」的な言葉が組み合わされていった。
以来、修験道は「密教」となったが、本来は「道教」である。
道教が「唐」のある地域にポツンと「密教」として「仏教的寺院」を構築していた。
まぁ、道教自体もヴェーダなど「バラモン」の色彩が色濃く入っているわけであり、ブッダの「教え」を体系化した仏教とは親和性が高いのは当然のことであろう。
日本に於いて「神仏習合」などと言っても、仏教も元は「バラモンの神」からの派生である。
分離して再び戻っていく・・・という流れでしかないわけである。
バラモンの「神」とは「ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌ」という三柱の神
三神一体で「ブラフマー」ともされる。
キリスト教に於いても「三位一体」というものがある。
「父(神)と子(キリスト)と聖霊」という三位一体
ブッダもキリストもせっかく「一体」を語っているのに、誰も「一体すること」と思わない。
キリストは「一体はこうである」という「型」を示し、ブッダは「一体するためにはこうするのだ」という「手段」を示した。
キリスト的に言えば「父(神)と子(身体)と聖霊(意識)」であり、ブッダ的に言えば「身体(ヴィシュヌ)も意識(シヴァ)も神(ブラフマー)と一体」である。
日本的に言えば「伊邪那岐(気・霊)と伊邪那美(身体)は柱(天御中主)を巡っている」ということである。
バラモンの神は何処から来たのか?
ということを追えば「シュメール」へと帰結する。
そこから中東やアフリカ、ヨーロッパへと広がっていることがわかる。
日本人は「シュメール」と呼んでいるが、そのような呼び方をしているのは日本人だけである。
世界では「スメル」と言う。
ある日本の学者が「スメル」という呼び名は「皇(スメラ)」を連想させるからと、わざと「シュメール」という呼び方に変えた。
いわゆる「認知」を歪ませたのである。
本来は「スメル」
「皇(スメル)」なのである。
今でいう「ペルシャ湾」の終点
イラン、イラク、クウェートという国の国境が隣接する地域に「スメル」はあり、その地域には「菊花十六弁の紋章」が残っている。
かつて、日本からスメルへ「行き来」している船があった。
それは巨大な船団で、一隻で1000人を運べるほどの大船である。
その船団の主(あるじ)が「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」
彼は物部(武士)の大軍団を率いて世界を行き来していた。
そして、船団うちの一隻に女性たちが乗り、子供たちを「教育」していたという。
その一隻の主が「瀬織津姫(セオリツヒメ)」であったという。
日ノ本に対して「スメル」は「月国」
皇(スメラ)の型を写す国
三柱の神、「ブラフマー」という柱に「シヴァ」と「ヴィシュヌ」
それは天御中主神、高皇産霊神、神産霊神という三柱の「造化三神」の映し鏡
その「型」としての伊邪那岐伊邪那美という夫婦神である。
だが伊邪那岐命と伊邪那美命は岩戸によって分かたれた。
それは「霊界」と「幽界」という二つの世界に分かたれたということ。
伊邪那岐命の「霊界」と伊邪那美命の「幽界」
それは現界に於いて「善悪」の二元に分かたれた「型」として現れる。
その「悪」とされるものの根本にあるのは「恐れ」
「恐れ」から生まれる「穢れ」である。
「死」という「恐れ」
「失」という「恐れ」
それは「変化」「転化」という循環に於いて必然性であるものに対する「拒絶」である。
「誕生」や「達成」の「喜び」という転化の裏側には「死」や「失」という「恐れ」が内在する。
喜びに執着すればするほどに、裏側にある恐れも執着される。
瀬織津姫という存在がもたらした「喜び」は、その裏側に大きな「恐れ」を生んだ。
ゆえに「恐れ」を根源とした「穢れ」が「ヤマタノオロチ」の大禍を発生させた。
「恨み」「妬み」「僻み」「嫉み」
憎しみの「悪感情」が「喜び」を無きものにするために襲いかかる。
「喜び」がそもそも無ければ「恐れ」も発生しない。
そんな本能的な反応なのである。
そして、それが瀬織津姫が「祓い」を続ける理由である。
「恐れ」を鎮め湧き立つ「穢れ」を納めて「巡り」を取り戻す。
それが「大祓い」である。
素戔嗚命が逆剥ぎ狂わせた「天斑駒(あめのふちこま)」という「馬(循環)」を「織殿」に投げつけ「機織り」を狂わせた。
恐れが怒りとなり、再び恐れへと戻り悲しみとなり・・・・
正常な「循環」を失った「天機織り」は、「喜び」を織りなす「稚姫」を死に追いやった・・・・
つまりは「機織り」が「喜び」へと循環しなくなったということである。
「喜び」が無くなれば「恐れ」も無くなる・・・・
転化、変化が「無かった」ならば「恐れ」も消える・・・・
そうして「ヤマタノオロチ」は「瀬織津姫」という「喜び」を追いかける。
ゆえに祓い続けるわけである。
「祓戸の大神たち」というのは「伊邪那岐命」が阿波儀原で禊ぎ祓いをした時に生まれた神である。
それは「天照大御神」「月読命」「素戔嗚命」の三貴神と「大禍津日神」「八十禍津日神」である。
この「禊ぎ」という儀式はキリスト教以外の様々な「宗教」に「儀式」として残っている。
つまりは「伊邪那岐命」という「片親(型親)」から生まれた「教え」である。
それらの「禊ぎ」は「死」というものに向き合うという、いわば「黄泉へと向かった伊邪那岐命」を模写している。
日本人の「禊ぎ祓い」の意識はどちらかというと「穢れを祓う」であるが、外国のそれは「穢れ」の元である「死という恐れに向き合う」というもの。
おそらくどちらも「片手落ち」なのだろう。
「死」という「恐れ」から湧き立つ「穢れ」を認識し、その後「湧き立った穢れを祓う」というのが「禊ぎ祓い」である。
外国のそれは「禊ぎ」であり、日本のそれは「祓い」である。
どちらも「禊ぎ祓い」とはなってはいない。
朝、目覚めてから・・・
書いては寝て、また目覚めて書いて、また眠らされ、目覚めて書いて・・・・
それは、書いては呼ばれ、戻っては書いて、また呼ばれて戻って書いて・・・の繰り返しである。
急激に「秋の気配」になった今日
何度も霊界に引きずられる。
そして目覚めては書いている。
季節の変わりはエネルギーの変わり目
変わり目の「今今」の時に導きは来る。
だから今来たものは、今しなければならない。
「後で・・・」などはない。
津波が来たり、火事になったりして、逃げるのは「今しかない」のと同じこと。
「後で」などないのである。
時代は、世界は「転化」を迎えている。
それは「始まり」を迎える裏側で「終わり」を迎えることである。
「終わり」を恐れ「穢れ」が湧き立つ。
戻ろうとする「巡りの逆行」は、天斑駒を逆剥ぎすること。
機織りを狂わせようと巡りを混乱へと誘う。
そして「大蛇」は世界を席巻する。
神界の「型写し」
黄泉の幽世に閉じ込めていた穢れは、「岩戸開き」と共に現れて、世界中が「霊懸かり」となる。
「神懸かり」するか「霊懸かり」するかを分かつ大鳴門
終わりと始まりの交叉する時である。
幽世に「隔離」されない人の「穢れ」の思いは「霊」となり、いとも簡単に人に伝播し行く。
岩戸が開けた世界とはそのような「混沌」の世界である。
それゆえ国常立の大神は世界中の人の心に「・」を入れた。
ただそれだけ・・・
だが、ただそれだけのことが人を分かつ。
「・」が芯となり柱となり劔となりゆくには、心を掃除洗濯せねば「・」は見つからない。
掃除洗濯された晴れやかな心には、それは煌々とした光である。
「・」を入れることで「⦿」と「〇」が分かれゆく。
終わりゆく〇の世と、始まりくる⦿の世
「・」無き今までの世界の常識に身を任せていれば、知らぬうちに「霊懸かり」となる。
芯の無い「〇」の中に自ら「霊」を招き入れる。
誰かの思い、何かの思い、それが具現した「霊」が入る。
「どうすべきか?」と迷っているなら「・」は未だに見当たらないということである。
その「〇」に「何を入れようか?」と迷いるのであろう。
だから「霊懸かり」となる
「・」は自分の内側にしかない。
自分にしか見えない。
自分にしか探し得ない。
それを見つけ手にした時、心は一切揺れぬ盤石の大地となる。
稲田姫という「喜び」を「櫛」として頭に挿した素戔嗚命のように、それは盤石の「・」となる。
「恐れ」によって湧き立つ「穢れの大蛇」の中にあって揺るがない盤石の「・」
それは芯となり柱となり劒となり「大蛇の尻尾」から現れる草薙劔である。
伊邪那岐命が振るい、素戔嗚命が振るった「十拳劔」は「転化の劔」である。
殺して転化し新たに生む転化の劔
死と再生を司り、終わりと始まりを司り、恐れと喜びを司る。
十拳とは一二三四五六七八九十の結び
十種の神宝である。
「・」無き日ノ本は「〇」となり、悪神懸かりの世となってきた。
三千年のその極みの今、霊懸かりだらけの人々に改めて「・」を入れた国常立の大神
「・」は「|(縦糸)」と「ー(横糸)」の「十(結び)」の目
「・」を軸に回って「転化」を遂げる。
「・」が無ければきっちり回らず右往左往して歪んだ転化となるだろう。
認知が歪み、もつれ絡まった歴史は、転化と共に新しいものへと変わってゆく。
元に戻るのではない。
新しいものが生まれるのである。
それゆえに、古いものは終わってゆく。
もつれとともに・・・・
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