【三年の大鳴門】 一年と半年 半年と一年




神々が『赦し』をわざわざ請うたのは

これから起こる『大鳴門』

三年

一年と半年 半年と一年

現世に具現する『大鳴門』を思って

「申し訳ない」という悲しさと憂いの思いが

痛いほどに伝わったからで

だから『赦し』を与え給うた



神界の『大鳴門』が

霊界の『大鳴門』となり

現界の『大鳴門』と具現する

最後の仕上げとなる『大鳴門』



これから三年の未来の『赦し』

高天ヶ原たる日ノ本が【贄】となったことへの『赦し』

ミロクの民たる神の子が【贄】となったことへの『赦し』

哀れみ憂い慈しむ神々の思い



肚を括りて神を赦されよ




「死なんと思えば生き 生きんと思えば死す」


体主霊従から早や解脱されよ

霊主体従でなければ「神風」は起こらず乗れない


自分の軸が千木高知るほど根を張り天高く伸びねば

神風を受ける「帆」は張れない



肚括り召されよ




一二三(ひふみ)の御用出来るだけの御魂に早うなりなされ

一二三は火風水

神人一致の観自在

天上天下唯我独尊の器の水(身)と早うなりなされ






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ひふみ神示

ウメの巻 第二十三帖 

これから三年の苦労ぢゃ、一年と半年と半年と一年ぢゃ。手合はして拝むだけでは何にもならんぞ、拝むとは御用することざぞ、形体(かたち)だけ出来ても何にもならんぞ、拝まないのは猶(なお)よくないぞ、神に遠ざかることぢゃ。此の道、ちっとも心許せんキツイやさしい道ぞ、泰平の嬉し嬉しの道ざが、何時も剣の上に下に居る心構へ結構ぞ。一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あるぞ。道は一つぢゃ、取違ひせん様にせよ。住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜならんのぢゃ、皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しざぞ、不足ない光の世来るぞ、早う身魂相当の御用 結構々々ぞ。世 愈々開け行くと人民申しているが、愈々つまって来るぞ、おそし早しはあるなれど何れは出て来るから、神示肚に早う入れて置いてくれよ、神示まだまだ判ってゐないぞ。


黄金の巻 第十一帖 

今度の【イワト】びらき、神と人との九十運動ぞ。建替の守護が大切ぞ。先づ一筋の天地の道から変へるのぢゃ。次に人の道つくるのぢゃ。経と緯であるぞ。人の道と天地の道と間違へてゐるぞ。人の道は花色々と咲き乱れ、織り交ぜて、楽し楽しのそれぞれであるぞ。自分で自分のことしてゐるのであるが、又させられてゐるのであるぞ。大き自分に融け入ったとて小さい自分無くなって了ふのでないぞ。神人ぞ。天地ぞと申してあらうが。善もかりぞ。悪もかりぞ。よく心得なされよ。かのととりの日。


第十三帖 

神示はちっとも違はん。違ふと思ふことあったら己の心顧みよ。その心 曇ってゐるのであるぞ。めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。神が人間になって働くのぞ。判りたか。新しき神国が生れるまで めぐりばかりがうようよと、昔のしたことばかり恋しがってゐるが、そんなこと何時までもつづかんぞ。三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。皆仲よう相談し合って力合せて進め進め。弥栄えるぞ。二つに分れるぞ。三つに分れるぞ。分れて元に納まる仕組。結構結構。理解大切。理解結構。思考しなければ これからは何も出来んぞ。拝み合ふことは理解し合ふことぞ。手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。何故に、心の手 合せんのぢゃ。心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。サトルことぢゃ。苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。血ぢゃ。肉ぢゃ。かのととり。


第二十九帖 

二二(フジ)の盗み合ひ、世の乱れ。心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道 見失ふことあると申してあらうが。道は易し、楽し。楽しないのは道ではないぞ、奉仕ではないぞ。世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。目醒まさねばならんのぢゃ。それが順序と申すもの。神示で知らしてあらうが。ここは種つくるところ、種は人民でつくれんぞ。神の申すやう、神の息 戴いて下されよ。天の道、地の道、天地の道あるぞ。人の道あるぞ。何も彼も道あるぞ。道に外れたもの外道ぢゃぞ。前は一筋ぞ。二筋ぞ。三筋ぞ。曲ってゐるぞ。真直ぐであるぞ。心得なされ。節分から(オーヒツキオーカミ)と現れるぞ。讃えまつれ。三年の大ぐれ


下つ巻 第三十四帖 

臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民 幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。





癒奏術・響庵

心と身体と魂を癒す・・・それが「癒奏術」 肉体から霊体へ、霊体から神体へと手が届く唯一の施術です

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